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発売日:1996-02-21 メーカー:ソニーレコード アーティスト:スターン(アイザック) | |||
♪ロシア的な情感あふれるチャイコフスキーの旋律美
1877年5月初めにチャイコフスキーに宛てて、一通の手紙が送られてきました。
「恋焦がれて自殺をします。すぐに来てください!」
送り主はモスクワ音楽院の教え子だった、アントニーナ・イワーノヴナ・ミリューコワ。
後にチャイコフスキーの夫人となる女性です。
チャイコフスキーは5月8日には結婚の意志を、友人に手紙で伝えています。
そしてふたりはその年の7月6日に、モスクワの聖ゲオルギー教会で挙式しました。
音楽院でロシア聖歌史を講じていた、ラズモフスキーが司式にあたり、
証人は弟のアナトーリーとヴァイオリニストのコテックでした。
しかし程なくしてこの結婚は失敗だったことにチャイコフスキーは気づきます。
そして同月の26日には夫人を置いて、単身カーメンカへと出立してしまうのです。
「もし私がこの殺人的な心理的葛藤から逃れて勝利者になれるとすれば、
それはあなたのおかげです。あなたのおかげです。」
と費用を立て替えてくれたフォン・メック夫人にお礼の手紙を書いたのでした。
モスクワに帰ってからも妻との関係は良好なものにはならず、
疲れたチャイコフスキーはモスクワ川に入って、未遂に終わった自殺を試みました。
また、仕事と偽って再び逃れて行った先のペテルブルグでは、
重度の神経症の発作で、意識不明の状態に陥ってしまいました。
10月2日にはアナトーリーに連れられ、外国旅行へと出発しています。
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フォン・メック夫人の援助によって、経済的にゆとりができたチャイコフスキーは、
夫人のすすめもあって、翌1878年にはモスクワ音楽院の教授職を退き、
イタリア、スイス、フランスと、自由なヨーロッパ旅行に出かけました。
ヴァイオリン協奏曲はこうした旅行の開放感の中で生まれました。
パリで聴いたサラサーテによる、ラロのスペイン交響曲の名人芸的演奏は、
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲への意欲をかりたてました。
そしてスイスの保養地クララン滞在中に訪ねて来た弟子のヴァイオリニスト、
ヨーゼフ・コチェークの助言を受けながら、協奏曲は1ヶ月足らずで完成しました。
旅行中の作曲にも関わらず、使用された主題にはロシア風のものが多く、
特に第2楽章カンツォネッタの旋律は、彼の真骨頂ともいえる美しさです。




