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2012年10月10日


ワーグナー:歌劇《ローエングリン》 第3幕への前奏曲 [新録音2012]

ワーグナー:管弦楽曲集(1)
定価:¥ 1,700
新品最安価格:¥ 3,911 (2店出品)
中古最安価格:¥ 2,735 (2店出品)
5.0点 ワーグナーの決定盤
発売日:2002-10-25
メーカー:EMIミュージック・ジャパン
アーティスト:クレンペラー(オットー)

♪ワーグナーの音楽を愛しその世界に生きたバイエルン国王ルートヴィッヒ2世

19世紀バイエルン公国の、第4代国王だったルートヴィッヒ2世は、
多くの凝った宮殿や城を築いたことから、“メルヘン王”とも呼ばれていました。

幼い頃に過ごしたホーエンシュヴァンガウ城は、白鳥の騎士ローエングリンや
中世のゲルマン伝説などに基づく壁画や、白鳥にちなんだ装飾で満ちていました。
それらに囲まれて育ったルートヴィッヒは、元来、読書や夢想を好む性格もあって、
白鳥の騎士に自らを重ね、中世に憧れる夢見がちな青年へと成長していきました。

そんなルートヴィッヒ2世が15歳になった時のことです。
彼は初めてワーグナーの歌劇「ローエングリン」を観て衝撃を受けます。
舞台に展開していたのは城内でずっと見てきた伝説の世界そのものだったのです。
白鳥に引かれた舟に乗る聖杯の騎士ローエングリンの姿が、
絵画ではなく動きを伴った形として、目の前に存在していたのでした。

この時ルートヴィッヒはあまりの感動に、客席で震え涙を流していたといいます。
その様子は周囲の者たちもあきれるほどだったようです。
作曲者ワーグナーの芸術の世界に心酔した彼は、この偉大な芸術家を擁護することが、
権力者として生まれた自分に課せられた、使命とまで信ずるようになったのです。

1864年、父マクシミリアン2世が逝去し、18歳でバイエルン王となった彼は、
まず手始めに宮廷秘書のフィスターマイスターに命じてワーグナーを宮廷へ呼び、
その時からルートヴィッヒのワーグナーに対する手厚い援助が開始されました。
当時ワーグナーは既に作曲家としての名声を手に入れ、財を成していましたが、
不安定な収入と極度の浪費癖から生活は逼迫し、
借金から逃れるために国を渡り歩いていたほどでした。

こうした状況下にあった51歳の、もう若くはないワーグナーにとって、
国王からの申し出は願ってもなくありがたいものでした。
ルートヴィッヒはワーグナーの膨大な借金を肩代わりし、破格の年金を与え、
貴族の屋敷が並ぶミュンヘン市内の一等地ブリエンナー街に豪華な邸宅を与えました。

あまりに大作で上演は不可能とされていた楽劇「ニーベルングの指輪」のための
大劇場の新設を提案したほか、ワーグナーのために音楽院を設立するなど、
自分にとっての夢の体現者であるワーグナーへの援助を惜しみませんでした。

しかし、バイエルン公国はカトリック信仰の厚い国で、
急進的な思想を持つワーグナーは、危険人物として快く思われない存在でした。
その上、リストの娘コジマとの不倫スキャンダルが世間を賑わし、
さらには国王による破格の額の待遇がミュンヘン市民の強い反感を買い、
ついにワーグナーはミュンヘンからの退去を余儀無くされました。

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しかしその後も国王からワーグナーに対する援助は変わりなく続けられ、
距離を隔てた二人が交わした電報書簡は700通に及ぶといいます。
人との交流を避けたルートヴィッヒでしたが、ワーグナーに対しては心を開き、
国王としての立場がもたらす心労や悩みを、隠さず打ち明け相談していました。

普墺戦争勃発後はシュタルンベルグ湖に浮かぶ薔薇島(ローゼンインゼル)に閉じこもり、
昼夜逆転した生活で外部との接触を断ち、現実から逃れ自分の世界に生きた国王ルートヴィッヒ2世。
美や理想の実現に対する願望と行為が、あまりに極端で一途過ぎたためか、
世間からは変人扱いされながらも、芸術とワーグナーに対する信を生涯貫き、
わずか40歳という若さで謎の死を遂げ、この世を去ったのでした。





ワーグナー:歌劇《ローエングリン》 第3幕への前奏曲 [新録音2012]
Richard Wagner:Prelude to Act3 from Lohengrin [NEW REC 2012]



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posted by アンドウトワ at 18:18 | オペラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月19日


ワイル:歌劇《三文オペラ》から 「匕首マッキーの歌 (マック・ザ・ナイフ)」

ワイル:三文オペラ
中古最安価格:31%OFF ¥ 1,399 (7店出品)
5.0点 大満足です
5.0点 モラルはその次ーー第2の三文フィナーレ
発売日:1997-05-25
メーカー:ポリドール
アーティスト:コロ(ルネ) アドルフ(マリオ) デルネシュ(ヘルガ)

♪20世紀前半のドイツの作曲家クルト・ワイルの出世作

「マック・ザ・ナイフ」の名でスタンダードナンバーとしても知られるこの曲は、
20世紀前半のドイツの作曲家クルト・ワイルの出世作「三文オペラ」で、
序曲に続いて主人公メッキー・メッサーが歌う「メッキー・メッサーのモリタート」です。

この音楽劇は1928年の作で、原作はシェークスピア時代の、
英国の劇作家ジョン・ゲイ作のコメディ劇「ベガーズ・オペラ」です。
それから200年の時を経て、ハウプトマンがドイツ語訳を施し、
更にプレヒトが三幕八場の歌劇台本にしたものにワイルが作曲しました。

「三文オペラ」はそれまでのオペラの常識や枠にははまらない、
いわばアンチテーゼ的な意味あいも持った異色の作品で、
完成年にベルリンで上演されると、一大センセーションを巻き起こしました。

作品のジャンルとしては演劇、オペラ、オペレッタなど、
多様な区分に当てはまりながらも、そのどれでもないというスタイルで、
クラシックのオペラとして紹介されつつ、演劇の扱いにもなっています。
ただ、こうしたベルリン・オペレッタが、
後のアメリカのミュージカルの原型になっていったことはたしかです。
ワイル自身は「三文オペラ」についてこう語っています。

「むしろこれはオペラの白痴化に反撃しようとする試みなのです。
私にはオペラの方がオペレッタよりはるかに愚かしく、現実離れしていて、
その志向においてもっと低級なものだと思います。」

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このオペラは楽器編成からみてもジャズ的要素が濃く、
例えば「メッキー・メッサーのモリタート(匕首マッキーの歌)」の場合では、
オルガンやバンジョーといった、通常は見られない楽器も登場します。
そしてリズムは4ビート、和声を彩るピアノもジャズ的です。

ですからジャズシンガーたちが、こぞってカバーしたのも当然の流れで、
フランク・シナトラを始めとする多くの歌手たちが十八番としてきました。

ワイルはこのオペラを7部からなる管楽合奏の組曲に編曲しています。
「小さな三文音楽(Eine Kline Dreigroschenmusik)」と題したこの作品も、
オペラと同様、ジャズ的風味を活かして大成功を収めました。

「マック・ザ・ナイフ」は最近、ロト6のテレビCMでも流れているので、
耳にしてご存知の方も多いと思います。





ワイル:歌劇《三文オペラ》から 「匕首マッキーの歌 (マック・ザ・ナイフ)」
Kurt Weill:Die Dreigroschenoper (The Threepenny Opera)
"Die Moritat von Mackie Messer" ("The Ballad of Mack the Knife")



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posted by アンドウトワ at 16:24 | オペラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月28日


ビゼー:組曲《美しきパースの娘》から 「セレナード - 小さな木の実」

ビゼー:アルルの女第1組曲&第2組曲&子供の遊び&美しきパースの娘
新品最安価格:14%OFF ¥ 1,538 (5店出品)
レビュー平均: 4.0点 (3人がレビュー投稿)
4.0点 有名曲の個性的演奏+チョイ秘曲の美しさ♪
4.0点 ビゼーの遺産、レーグナーの遺産
4.0点 印象に残る冒頭のメロディー
発売日:2006-09-06
メーカー:キングレコード
アーティスト:レーグナー(ハインツ)

♪ビゼーのアリアから生まれた「みんなのうた」の名曲

『美しきパースの娘』はビゼーが、1866年に作曲した全4幕のオペラ・コミックです。
ウォルター・スコットの小説『The Fair Maid of Perth』を元に台本が作成され、
1867年12月26日に、パリのリリック座にて初演されました。

物語の舞台は14世紀、内乱期のスコットランドの首都パース。
婚約間近のキャサリンとヘンリーが、誤解やすれ違いからいさかいになり、
領主やジプシーの女王らを巻き込みながらも、最後には結ばれるという愛憎劇です。

歌劇はあまり人気を得られず、今日でもほとんど上演されませんが、
これを惜しんだビゼーは、第2幕から5曲を選び、演奏会用の組曲としました。
組曲は「前奏曲」「オーパード」「セレナード」「行進曲」「ジプシーの踊り」の構成です。

このうち、第2幕と第4幕で歌われるアリア「セレナード」こそが、
後にNHK「みんなのうた」で、「小さな木の実」として知られることになる歌の原曲です。
石川皓也編曲・海野洋司作詞により、1971年、1983年、1995年に放送されました。

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オペラではヘンリーが恋人を取り戻そうと、切々と歌い上げるアリアですが、
「小さな木の実」は父を亡くした少年の、物語性のある歌になっています。
海野洋司さんが交通遺児を励ます趣旨で作詞されたとのことです。

『美しきパースの娘』は、実はもうひとつ有名な旋律を生んでいます。
『アルルの女』第2組曲の、フルートソロが印象的な「メヌエット」です。
この旋律は『美しきパースの娘』第2幕の、ロスシー伯爵とマブの二重唱の伴奏を、
ギローが編曲・転用したもので、原曲とは大きく異なっています。





ビゼー:組曲《美しきパースの娘》から 「セレナード - 小さな木の実」
Georges Bizet:La jolie fille de Perth "Serenade"



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posted by アンドウトワ at 08:33 | オペラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月25日


ビゼー:《カルメン》 第1組曲から 「間奏曲」

ビゼー:<アルルの女><カルメン>組曲
新品最安価格:22%OFF ¥ 1,389 (8店出品)
レビュー平均: 5.0点 (1人がレビュー投稿)
5.0点 まさにフランス音楽の真骨頂
発売日:2009-05-20
メーカー:ユニバーサル ミュージック クラシック
アーティスト:モントリオール交響楽団 デュトワ(シャルル)

♪激しく情熱的なオペラの幕間に咲く可憐な一輪の花

今でこそオペラの不朽の名作として、動かぬ地位にあるビゼーのカルメンですが、
1875年の初演は惨憺たるもので、明らかに不成功と言い切れるほどのものでした。

当時のフランスのオペラ界では、華麗で娯楽として家族でも楽しめる、
オペラ・コミックという軽いオペレッタのようなものが人気でした。
スッペオッフェンバックなどの作曲家たちも、この例に漏れません。

しかし、ビゼーは違いました。
すでに「真珠取り」や「アルルの女」といった、現代にも残る作品を発表していた彼は、
当時のフランスのオペラ界の風潮に満足しきれず、
この状況に革命を起こすような作品を作りたいと考えていました。

そこで選んだ題材が、プロスペル・メリメの小説『カルメン』です。
人殺しや密輸人すら登場するこの物語は、オペラ・コミックには全く不適当でした。
作品を注文したオペラ・コミック劇場の支配人ルーヴァンは、当然これに反対。

ビゼーは台本作家のアンリ・メイヤックとリュドヴィク・アレヴィと相談して、
原作よりソフトな口当たりになるように、設定等を変えアレンジしました。
こうしてオペラ『カルメン』は、1874年にようやく完成して練習に入りました。

翌年の3月3日、初演会場のオペラ・コミックはビゼーの新作を見ようと、
つめかけたパリの名士たちやオペラファンで満員でした。
しかしふたを開けてみれば、ヒロインは薄汚れたタバコ工場の女工。
そしてケンカは始まる、泥沼の愛憎劇は展開するで、
夢のようなひと時を期待した聴衆は、一気に冷めてしまったのです。

結局、ビゼーはカルメンの真価を見ないまま、3ヶ月後に急逝してしまいます。
オペラ・コミックは台詞に音楽のつかない、ミュージカルのような形ですが、
ビゼーの死後、エルネスト・ギローがカルメンの台詞をレチタティーヴォに改作して、
グランド・オペラとして上演すると、その人気は見るみる高まっていったのでした。

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魅力的なアリアや旋律の多いカルメンには、様々な抜粋・編曲版があります。
中でも有名なのがフリッツ・ホフマンの選曲・編曲による第1組曲と第2組曲です。
指揮者によっては演奏順を変えたり、第1・第2組曲を1つの組曲として演奏したり、
2つの組曲から選曲してオリジナルの組曲を編むなど、その形態も多様です。

前奏曲」「ハバネラ」「闘牛士の歌」と、誰もが知る曲が並びますが、
フルート・ソロが印象的な、第3幕への「間奏曲」も組曲の内のひとつです。
この曲は1872年作曲の劇付随音楽「アルルの女」から転用されました。





ビゼー:《カルメン》 第1組曲から 「間奏曲」
Georges Bizet:Carmen Suite No.1 "Intermezzo"



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posted by アンドウトワ at 16:57 | オペラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日


ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》 第1幕への前奏曲

ワーグナー:トリスタンとイゾルデ 全曲
新品最安価格:8%OFF ¥ 7,105 (6店出品)
レビュー平均: 5.0点 (1人がレビュー投稿)
5.0点 最高の名演を最高の音質で
発売日:2011-06-22
メーカー:EMIミュージックジャパン
クリエーター:フルトヴェングラー(ヴィルヘルム)(指揮)

♪現代音楽へのマイルストーンとなった“トリスタン和音”


この作曲家がこれで何をしようとしていたのか、
いまだにほんの少しでさえもわからないということを、私は告白せねばなりません
− H.ベルリオーズ

この曲の最初の一音は、ダ・ヴィンチのどんな芸術の魔力をも失わせてしまう
− F.ニーチェ


楽劇『トリスタンとイゾルデ』の音楽史における存在の意味合いには、
短い文面では説明できないほど、計り知れなく大きいものがあります。
そしてそれが集約されたのが、全曲に先立って演奏される第1幕への前奏曲です。

トリスタン和音と呼ばれる和音があります。
これは前奏曲の冒頭で現れる、F、B、D#、G#から構成される和音(0:06)ですが、
理論的に解決されないまま、次のフレーズへと進んでしまうので、
音楽史的には調性の崩壊につながったとされているのです。

また、古典的機能和声の崩壊にも影響を与えた半音階の多用や、
終止音を避けて延々と続く「無限旋律」など、トリスタンとイゾルデには
それまでに無かった斬新な試みが盛り込まれています。
このため音楽史上のひとつの里程標と見なされているのです。

作曲時に報われぬ恋愛関係にあったマティルデ・ヴェーゼンドンクに当てた書面で、
ワーグナーは前奏曲についての表題的解釈を、次のように書き記しています。


…そこで彼はただ一度だけ、しかし長く分節された一つの線で、
もっとも控えめな告白と、もっとも儚い献身から始め、不安な溜息、希望と畏れ、
嘆きと望み、歓喜と苦悩をへて、もっとも強い衝動、もっとも激しい努力へと、
その満たされることのない欲求を高めていった。
それは途方もなく熱望する心に、無限の愛の歓喜の海へ到達する道を開き、
突破口を見いだそうとする欲求である。


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マティルデは自分を擁護するパトロン、ヴェーゼンドンクの若き妻であり、
ワーグナー自身にもミンナという連れ添った妻がありました。
どれほど互いに惹かれようとも、決して成就することのない恋愛の苦しみと、
マティルデへの焦がれるような思いが、途切れることのない旋律となり、
解決しない不協和音となり、形式を超えた音楽へと結実していったのです。

そして、トリスタンとイゾルデの圧倒的な魔力と極限的な感情表現は、
その後の芸術家たちの創造活動に、大きな影響を及ぼし続けたのです。

第1幕への前奏曲と終幕のクライマックスを飾る「イゾルデの愛の死」は、
ワーグナーが先行演奏会でこの2曲を取り上げたことにちなみ、
現在でも「前奏曲と愛の死」と題し、連結したひとつの曲として演奏されています。





ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》 第1幕への前奏曲
Richard Wagner:Tristan und Isolde Prelude to Act 1



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posted by アンドウトワ at 14:16 | オペラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日


ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》 第3幕 「イゾルデの愛の死」

ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲
新品最安価格:20%OFF ¥ 4,849 (7店出品)
レビュー平均: 4.5点 (11人がレビュー投稿)
5.0点 “ドレスデンの燻し銀の弦”も魅力です
4.0点 この曲の最高の録音の一つ。
5.0点 バイロイトとは違った趣があります
発売日:2000-03-01
メーカー:ポリドール
クリエーター:クライバー(カルロス)(指揮) コロ(ルネ)(演奏)

♪楽劇終幕のクライマックスを飾るイゾルデの絶唱

音楽家として、またひとりの人間として、波乱万丈の人生を送ったワーグナー。
女性との道ならぬ関係や借金苦からの国外への逃亡など、
そのエピソードの数々には、自らの歌劇、楽劇の筋にも劣らぬ派手さがあります。
そしてそれらの実人生が創作や、作品の内容に反映されることも多々ありました。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の題材にもなったとされる、
ケルト起源の恋愛説話「トリスタン物語」に基づく、楽劇「トリスタンとイゾルデ」も、
そうしたワーグナーの実際の恋愛が、創作の契機になった作品のひとつです。

1849年、ワーグナーが36歳の時のこと。
ドレスデン蜂起に連座したワーグナーは、政治犯として指名手配され、
以後9年間、スイスのチューリッヒへの亡命生活を、余儀なくされました。

スイスでは豪商オットー・ヴェーゼンドンクがパトロンとなり、
家を提供するなどしてワーグナーと、その妻ミンナをバックアップしたのですが、
こともあろうかワーグナーはヴェーゼンドンクの若い妻であった、
マティルデと熱烈な恋におちてしまったのです。

ワーグナーはマティルデとの叶わぬ恋の苦しみと、理想の愛の形を、
作品の中で昇華させるかのように、楽劇の作曲に打ち込んでいきました。

しかし、第1幕完成直後にワーグナーとマティルデの関係が発覚します。
マティルデに宛てた秘密の手紙を、妻ミンナが読んでしまったのです。
やがてワーグナー夫妻はチューリッヒを離れ、妻はひとりドレスデンに去りました。

その後も楽劇の作曲は続けられ、イタリアのヴェネツィアで第2幕が、
スイスのルツェルンで第3幕が書き上げられました。
ヴェネツィアからマティルデに送った手紙にワーグナーは、
「私の芸術の最高峰」と、その自信のほどを書き記しています。

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「イゾルデの愛の死」は終幕のクライマックスで、剣に倒れたトリスタンの後を追い、
自らも命を絶とうというイゾルデによって歌い上げられます。
ワーグナーが全曲の初演に先立って演奏会形式で発表した際に、
第1幕への前奏曲と第3幕終結部「イゾルデの愛の死」を演奏したため、
現在でも管弦楽曲として、独立してコンサートでも演奏されています。

また、後に娘コジマがワーグナーの妻となるフランツ・リストによる、
ピアノ・トランスクリプションもよく知られています。
指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻だったコジマとワーグナーは当初、
不倫関係だったため、怒ったリストとワーグナーは絶縁状態の時期がありました。

にもかかわらずその時期に、こうしてトランスクリプションを書いたのは、
リストがワーグナーを音楽家として、変わらず認めていたことの証でしょう。
無調が取りざたされる「トリスタンとイゾルデ」という楽劇の中で、
「イゾルデの愛の死」は調性もはっきりした、わかりやすく美しい音楽です。





ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》 第3幕 「イゾルデの愛の死」
Richard Wagner:Tristan und Isolde Act 3 “Liebestod”



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2012年01月17日


ロッシーニ:歌劇《ウィリアム・テル》序曲

ロッシーニ: ウィリアム・テル 全曲 仏語版
新品最安価格:¥ 2,800 (4店出品)
中古最安価格:16%OFF ¥ 2,337 (1店出品)
発売日:2011-07-20
メーカー:EMIミュージックジャパン
プロダクトタイプ:ABIS_MUSIC
クリエーター:アントニオ・パッパーノ(指揮)
ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団

♪独立して演奏されることも多い序曲の有名曲

全盛期のロッシーニの、オペラ作曲家としての、ウィーンでの人気ぶりは、
あのベートーヴェンでさえも、到底及ぶものではなかったといわれています。
ベートーヴェンはすでにいくつもの名作を書き、第九に着手しようという時期でした。
ロッシーニはまず故郷のイタリアで名を上げ、その勢いはウィーンにも達していました。

ベートーヴェンはしばらくスランプの時期があったので、
その頃はおそらくウィーンの街は、ロッシーニ一色だったかもしれません。
それについてはベートーヴェン自身も、苦言を呈していたぐらいです。

そんなロッシーニが37歳で残した最後のオペラが、
主人公が子供の頭の上のリンゴを射ることでも有名な「ウィリアム・テル」です。
この物語は14世紀のスイスが舞台です。

当時のスイスはオーストリアの支配下にあり、総督ジェスレルに苦しめられていました。
ある日のこと、テルの友人のメルクタールの息子アルノールは、
おぼれかけていたオーストリアの王女マティルデを救い、ふたりは愛し合います。

愛するマティルデと祖国スイスの板ばさみで苦しむアルノールでしたが、
捕らえられていた父親が、ジェスレルによって死刑に処せられたことを知り、
マティルデと別れてもスイスのために、テルと共に戦うことを誓います。

オーストリアによるスイス統治100周年の記念日。
ジェスレルは自分の帽子を取って掲げ、スイス人は帽子に敬礼するよう命じます。
しかし通りかかったテル親子はこれを拒否。
怒ったジェスレルは彼に、息子ジェミの頭の上のリンゴを撃つことを命じました。

人々が見守る中、百歩はなれた先から見事、リンゴを打ち抜いたウィリアム・テル。
しかし、失敗した時にはジェスレルを射るつもりで持っていた
もう1本の矢が見つかり、親子は牢獄へと引かれて行きました。

その後はアルノールやマティルデの助力もあって脱出したテルは、
ジェスレルの心臓を矢で射抜き、スイスの自由と独立を取り戻します。
マティルデとアルノールは互いの愛を確かめ、物語は大団円を迎えるのでした。

この大作オペラを書いた後、ロッシーニは37歳にして引退状態に入りました。
ある日熱烈なファンに「先生の新作を期待しているのですがいかかでしょう?」
と問われたロッシーニは、ピアノに向かうと、ある曲を弾き始めました。

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それはモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」からの一節でした。
そして振り返るとロッシーニはこう言ったのです。
「こんな立派な曲があるのに、なぜ私がつまらないオペラを書く必要があるのですか。」

最後のオペラとなった「ウィリアム・テル」では、4部からなる序曲があまりに有名です。
第1部「夜明け」 、第2部「嵐」 、第3部「静寂(牧歌)」 、第4部「スイス軍隊の行進」が、
切れ目なく演奏され、スイスの山の風景のように変化する様が描かれていきます。

ロッシーニは序曲のことをシンフォニア-交響曲と呼ぶことがありました。
ベルリオーズが「4部からなる交響曲」と評したように、
ウィリアム・テル序曲はオーケストラの魅力が凝縮された、見事な管弦楽作品です。

*これまで「スイス軍隊の行進」を掲載していましたが、全曲を通して新録音しました。





ロッシーニ:歌劇《ウィリアム・テル》序曲
Gioachino Antonio Rossini:William Tell Overture



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2012年01月12日


ニコライ:歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》 序曲

ニューイヤー・コンサート1989&1992
新品最安価格:11%OFF ¥ 2,412 (3店出品)
レビュー平均: 4.7点 (9人がレビュー投稿)
5.0点 ウィーン・フィルの歴史を変えた瞬間
5.0点 天才によるニューイヤーコンサート
5.0点 カルロスは、やっぱり天才だよ!
発売日:2004-11-17
メーカー:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
アーティスト:クライバー(カルロス)

♪ウィーン・フィルハーモニーの創設者としても名高い作曲家

ニコライは1810年6月9日生まれの、ドイツ出身の指揮者・作曲家です。
幼い頃から天与の才能を見せ始め、父親の手ほどきでピアノを習得。
16歳で親元を離れると、ベルリンに遊学し音楽を研修します。

この時に保護を受けたのは、ベルリンのカール・フリードリヒ・ツェルターで、
ベルリン・ジングアカデミーの学生として教会音楽を中心に学んでいました。

また有名なメンデルスゾーンによる、バッハのマタイ受難曲の蘇演の際、
ニコライはジングアカデミーの学生として、イエス・キリストのパートを歌っています。
メンデルスゾーンはニコライと同じくツェルターの弟子だったのです。

その後は1833年に駐ローマ・プロイセン大使館付き礼拝オルガニストとなり、
1840年代にはウィーンに拠点を移し、ケルントナートーア劇場の楽長に就任しました。
そして1842年3月にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の前身である宮廷楽団員の
自主演奏団体「フィルハーモニー・アカデミー」による最初の演奏会を催しています。

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1847年にベルリン歌劇場の音楽総監督となった2ヶ月後に、
後の代表作となる歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』を発表。大成功を収めました。

この作品はシェークスピアの同名喜劇をモーゼンタールが台本に書き上げ、
三幕七場にまとめた魅惑的な喜歌劇で、1849年3月9日にベルリン王立歌劇場
(現在のベルリン国立歌劇場)にて初演されました。

またそれに先立つ1847年4月1日には同じく王立歌劇場で、ニコライ自身が創立した
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、作品の抜粋と序曲が演奏されています。

このオペラは同時期のドイツ語による喜歌劇 - ジングシュピールの中でも、
ユーモアと新鮮さにおいて傑出しているとされ、分けても序曲は人気で、
現代でも演奏会用としてコンサートで広く取り上げられています。





ニコライ:歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》 序曲
Carl Otto Ehrenfried Nicolai:"The Merry Wives of Windsor" Overture



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2012年01月07日


オッフェンバック:歌劇《ホフマン物語》から 「ホフマンの舟歌」

ホフマンの舟歌~カサロヴァ・シングス・オッフェンバック
新品最安価格:21%OFF ¥ 1,980 (4店出品)
発売日:2009-05-27
メーカー:BMG JAPAN
アーティスト:カサロヴァ(ヴェッセリーナ) バイエルン放送合唱団
時間:50(分)

♪ヴェネチアのゴンドラの上でささやきあう愛の歌

オッフェンバックはドイツ・ケルン出身のユダヤ系作曲家です。
合唱指揮者を父に持ち、幼い頃にパリに移住しました。

パリ音楽院でチェロを学び、卒業後はパリ・オペラコミック座でチェロ奏者に。
並行してシャンソンの作曲などで名を売りながらキャリアを積み、
1850年にはテアトル・フランセの楽長に就任、指揮者も務めました。

この後、オッフェンバックはドイツに帰ることはなく、
生涯、フランスを拠点としながら音楽活動を続けました。
来訪したアメリカやイギリスでも賞賛され、フランス喜劇の創始者とまで言われました。

本名はヤーコプ・エーベルストですが、パリでの活動にあたってそれを嫌い、
出生地であるオッフェンバック・アムマインからペンネームをとりました。

オッフェンバックは自作曲を演奏するための専用劇場ブッフ・パリジャンを作り、
そこから100を越える数の喜歌劇を、世に送り出していきました。
しかし、劇場の経営は最初からうまく運んだものではなく、
有名な喜歌劇「天国と地獄」で起死回生、ようやく軌道にのせることができたのです。

歌劇「ホフマン物語」は彼が最晩年に手がけた、本格的なオペラ作品です。
台本はドイツの作家ホフマンの三つの恋の物語で、
劇中、主人公ホフマンとジュリエットによって歌われる舟歌は特に有名です。

オッフェンバックはこの歌劇の作曲中に亡くなってしまい、
また劇場の度重なる火災により決定稿も損失したことから、
後に三幕ものから五幕ものまで、様々な形の「ホフマン物語」が生まれました。

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しかしこれが幻想的な物語であるこの歌劇に、自由な彩りをもたらしました。
また舟歌はこうした事情を越えて「ホフマンの舟歌」として、
単独でもよく取り上げられるような、絶対的な知名度と人気を誇っています。

同時代のスッペと共に、オペレッタ王として知られていたオッフェンバックは、
自らで九割方書き上げていた、最期の作品「ホフマン物語」によって、
ついに一流のオペラ作曲家の仲間入りを果たしたのでした。





オッフェンバック:歌劇《ホフマン物語》から 「ホフマンの舟歌」
Jacques Offenbach:Barcarolle from "The Tales of Hoffmann"



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posted by アンドウトワ at 16:28 | オペラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする