2014年12月05日


モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626 “怒りの日”

モーツァルト:レクイエム
ワルター(ブルーノ) リップ(ウィルマ) レッスル=マイダン(ヒルデ) デルモータ(アントン) エーデルマン(オットー) ウィーン楽友協会合唱団
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル (2002-10-23)
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♪自身のためのレクイエム(鎮魂歌)にもなった最後の名作

モーツァルトの天才ぶりについては、しばしばこんなことが語られます。
彼は一瞬のひらめきの内に、交響曲一曲分の青写真が見えていて、
あとはそれを譜面に書き起こす作業が残っていただけだったと…。

たしかにそれは事実だったのかもしれませんが、
一方では彼もまた人間だったことを示す、興味深い話もあります。

ある音楽家がウィーンのモーツァルトゆかりの地を訪ねていると、
歌劇「魔笛」の草稿が目に飛び込んできました。
その譜面には何度も書き直した苦心の様が表されていて、
隅には苛立ちからペンで突き刺したあとがいくつもあったと言います。

「魔笛」は病に苦しんだ最晩年の作品だからということもあるでしょうが、
モーツァルトにもそうした面があったのかと思うと、なぜか安堵を感じます。

そんな「魔笛」と同じ年に書かれた最後の作品が、名作として名高い「レクイエム」です。
「魔笛」の完成も近づいた、1791年7月のある日、見知らぬ男がモーツァルトを訪ね、
レクイエム作曲の依頼と謝礼について書かれた、無署名の手紙を差し出しました。

経済的に厳しかったこともあり、モーツァルトはすぐにこの仕事を引き受けました。
ただ、自身の体調がすぐれず、鬱々とした精神状態でのこの依頼は、
何か不吉なものに感じられて、モーツァルトはショックを受けずにいられませんでした。

やがて彼は、あの男は死の世界からの使者であり、
この作品は自分のためのレクイエムではないかと考えるようになりました。

歌劇「ドン・ジョバンニ」の台本作家ダ・ボンテにあてた手紙では、
「最早、私の生命の終わりが近づいたと覚悟しています。
運命ならばあきらめなければなりません。これは私の葬儀の歌です。」
といったような内容を綴っています。

そしてそう予見した通り、レクイエムは彼の遺作となってしまいました。
それも、モーツァルト自身の筆で完成させることはできず、
弟子のジュスマイアーに未完部分の手はずを伝え、 その後間もなく意識を失い、
1791年12月5日に帰らぬ人となったのでした。

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レクイエム作曲中のモーツァルトは何かに憑かれたように作業を進め、
体力の衰えから筆が持てない時は、弟子に指図して代筆させました。
妻を含め周囲がもうやめた方がいいとすすめても全く聞かず、
床から起き上がれなくなっても作曲をやめることはありませんでした。

「魔笛」の作曲中にも何度も気を失ったというモーツァルト。
彼の音楽に対する執念ともいうべき情熱には、ただ頭が下がるばかりです。

モーツァルトの完全に調和した音楽は、どこからか降って湧いたものばかりではなく、
たゆまぬ努力と熱意の賜物でもあったのです。





モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626 “怒りの日”
W.A.Mozart:Requiem in D minor, K.626 "Dies Irae" [1:54]



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2012年11月23日


J.S.バッハ:カンタータ第106番《神の時こそ、いと良き時》BWV106 1. ソナティーナ

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アーティスト:リヒター(カール) フィッシャー=ディスカウ(ディートリヒ)
ミュンヘン・バッハ合唱団 シュライアー(ペーター)
ディスク数:4

♪素朴さの中にも天国的な響きを持つバッハ初期の教会カンタータ

200曲以上もあるバッハのカンタータの中でも特に人気の高い作品です。
バッハのカンタータを集めたCDでは、外せない楽曲のひとつになっています。

この曲はバッハが20歳代前半、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会の
オルガニストを務めていた1707年に作曲されたと見られ、
BWV131と共に彼の最初期に属する教会カンタータです。

作曲の詳細については不明で、歌詞の作者もわかっていませんが、
バッハ説や聖母マリア教会の牧師ゲオルク・クリスティアン・アイルマー説があります。
たしかなのは後の時代の筆写譜に「Actus tragicus(哀悼の式)」と書き込まれていて、
葬儀用の作品として作曲されたのは間違いないということです。

ただそれが誰のためなのか?にも諸説あり、エアフルトに没したバッハ自身の伯父、
トビアス・レンメルヒルトやアイルマーの妹ドロテア・ズザンナ・ティレズィウスなどが
想定され、さらに新たな説もありますが、どれも定かとは言えない状況です。

自筆譜は総譜、パート譜ともに消失していて、現存するのはいくつかの筆写譜の形で
ベルリン、ケルンの国立図書館、オックスフォードのボドリ文庫が所蔵しています。

当時のミュールハウゼンのオルガンの調律は特殊でピッチが高かったため、
合唱やオルガンはコアトーンの変ホ長調、ブロックフレーテのみはカンマートーンの
ヘ長調で記譜されていますが、新バッハ全集ではヘ長調が採用されています。

バッハの創作初期の素朴な作品として、とりわけこの楽曲を愛する向きも多く、
後のライプツィヒ時代のレチタティーヴォ-アリア−合唱(コラール)という形式ではなく、
曲想の異なる合唱やアリアが絡みながら進行することも興味を引く理由です。

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第1曲の「ソナティーナ」は合唱に先立って置かれた器楽のみのシンフォニアで、
2本のリコーダー(ブロックフレーテ)とビオラ・ダ・ガンバ、
そしてチェロやオルガンの通奏低音という至ってシンプルな編成です。
しかし奏でられる響きには、どこかこの世ならざる透明感、美しさがあります。

作曲時にはまだ、若干22歳の人生を知らぬ青年だったバッハですが、
その描き出す死生観には、年齢を超えた透徹としたものが感じられます。







J.S.バッハ:カンタータ第106番《神の時こそ、いと良き時》BWV106 1. ソナティーナ
J.S.Bach:Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit BWV106
1. Sonatina :Molto adagio



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2012年10月15日


ラフマニノフ:ヴォカリーズ Op.34-14 [弦楽伴奏版]

アンナ・モッフォ:名唱集
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5.0点 モッフォ絶頂期の素敵な一枚
5.0点 a wonderful CD
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メーカー:NEWTON CLASSICS
アーティスト:Anna Moffo

♪ロシア的な叙情性を湛えたラフマニノフ屈指の名旋律

ヴォカリーズは元来、歌手の練習用に書かれた歌詞の伴わない、
Ahーなどの母音のみを発声する歌曲のことを意味します。
多くの作曲家がヴォカリーズと称する楽曲を書いていますが、
ラフマニノフの作品が突出して有名で、代名詞のようになっています。

1912年に作曲の14曲からなる歌曲集作品34の最後の曲として発表され、
当時から大変な人気を集め、様々な編曲版が生まれました。

まず原典は嬰ハ短調だったのをラフマニノフ自身がホ短調の管弦楽版に編曲。
その後はピアノ独奏版、器楽とピアノ伴奏版、ソプラノと管弦楽伴奏版など、
編曲や調性を変えた違った顔を持つヴォカリーズが、人々に知られることになりました。

歌手がうたう際は嬰ハ短調ですが、器楽ではホ短調が相場です。
またラフマニノフ自身はソプラノでもテノールでも構わないとしていますが、
伴奏の音域との兼ね合いなどからテノールで歌われることはまずなく、
古くからソプラノの名歌手たちが、優れた録音を残してきました。
その中でも特に知られるのが、アンナ・モッフォによる名唱です。

若い頃は美貌のコロラトゥーラ・ソプラノとして持て囃されたモッフォですが、
ここでは程よくこもった暗めの声が功を奏し、この曲特有の魅力を際立たせています。
ストコフスキーの指揮は、テンポを遅めにとりながらも決して重くならず、
あくまでモッフォの落ち着いた声を引き立てることに徹しています。

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多くの編曲版のひとつ、ドゥベンスキーによる弦楽伴奏の編曲も趣きがあり、
下手に管楽器を加えるよりも、作品の深みを引き出せていると思います。
モッフォに合わせたであろうハ短調という調性が、一層の厳粛さをもたらしています。

モッフォとストコフスキーの録音は今から20年程前に、NHK-FMで放送されていた、
「夜の停車駅」という江守徹さんがナレーションを務める番組のEDで使用され、
当時それが話題となり、CD店にも説明ポップ付で並んでいました。
現在では廃盤ですが、コンピレーション・アルバム(1)や輸入盤(推薦CD)で発売されています。

(1)日本盤「ヴォカリーズ・リラクゼーション」/輸入盤「Vocalise





ラフマニノフ:ヴォカリーズ Op.34-14 [弦楽伴奏版]
Sergei Vasil'evich Rachmaninov:Vocalise Op.34-14



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2012年09月25日


モーツァルト:戴冠式ミサ ハ長調 K.317 6. アニュス・デイ(平和の讃歌)

モーツァルト:戴冠式ミサ[教皇ヨハネ・パウロ2世により挙行された荘厳ミサ]
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メーカー:ユニバーサル ミュージック クラシック
アーティスト:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) システィナ礼拝堂合唱団 ウィーン楽友協会合唱団 教皇庁立教会音楽学院聖歌隊 シュミット(トゥルデリーゼ) バトル(キャスリーン)

♪ザルツブルク時代に作曲された最も知られるモーツァルトのミサ曲

未完を含めて20曲になるモーツァルトのミサ曲中、最も有名な作品です。
モーツァルトの教会音楽は前半生のザルツブルク時代に作曲が集中しています。
彼が仕えたザルツブルクの宮廷が、聖職者である大司教のものであったため、
教会音楽の需要が多くなるのは自然のことだったと考えられます。

1777年9月に職を求めて母親と共にマンハイム~パリに旅立ったモーツァルト。
しかし求職活動は実らなかった上に、パリでは母親を亡くしてしまいます。
結局1779年1月に憔悴のうちに帰郷したモーツァルトは、1780年11月にオペラ
『イドメネオ』の初演でミュンヘンに旅に出るまでの2年間をザルツブルクで過ごし、
この間にミサ曲とヴェスペレ(晩課)を作曲しています。
戴冠ミサ曲ハ長調はそれらの楽曲の中で最初に書かれた作品です。

完成は1779年3月23日で、同年の復活祭の祝日(4月4日)に、
ザルツブルク、聖シュテファン大聖堂での復活祭のミサで初演されました。
当時としては大規模な楽器編成で、華やかな祝祭的趣きがあります。
しかし楽曲の造りは無駄がなく、演奏時間は30分以内に纏められています。
これは大司教が長くないミサ曲を好んだことが影響しているとみられます。

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戴冠ミサは長らくザルツブルク郊外にあるマリア・プライン教会の、
年中行事である聖母像の戴冠式のために、作曲されたといわれてきました。
しかし、実際に聖母像の戴冠式が行われたのが1779年6月であるのに対し、
初演は4月に行われていたなど、現在ではその説に疑問が持たれています。

ではなぜ戴冠式の名がついたかといえば、1791年にプラハで行なわれた、
レオポルト2世の戴冠式でサリエリが指揮して以後に定着したとされています。
楽曲は全6章からなり、基本はミサ曲の形式を踏襲していますが、
モーツァルトは第4曲「サンクトゥス」と第6曲「アニュス・デイ」の間に、
第5曲「ベネディクトゥス」を独立した章として入れた構成をとっています。

マンハイム~パリの旅行がもたらした人間として、また音楽家としての成長が
作品の構成力や奥行きに格段の進歩をあたえている他、
まるでオペラのような魅力的な旋律が随所に登場するのが特徴です。
事実、第1曲「キリエ」の旋律はオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」に再利用され、
第6曲「アニュス・デイ」前半でソプラノがソロで歌う美しい旋律は、
1786年のオペラ「フィガロの結婚」第3幕で伯爵夫人が歌う
アリア「楽しい思い出はどこに」として再び使用されています。
こうした親しみやすさが、多くのモーツァルトのミサ曲にあって、
戴冠ミサだけが繰り返し演奏される理由のひとつといえるかもしれません。

尚、フルオーケストラに近い楽器編成のこの作品ですが、
弦楽5部の中でなぜかヴィオラだけが扱われていません。
モーツァルトの木管楽器ではいくつかのパートが欠けることはありますが、
ヴィオラという弦の重要なパートが抜ける例はあまりありません。
これは当時のザルツブルクでは、ヴィオラを欠いた弦楽4部の編成が
一般的なオーケストラのスタイルであったためともいわれています。





モーツァルト:戴冠式ミサ ハ長調 K.317 6. アニュス・デイ(平和の讃歌)
Wolfgang Amadeus Mozart:Coronation Mass in C major, KV 317
6. Agnus Dei

6. Agnus Dei (KARAOKE)



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2012年04月08日


プーランク:愛の小径

アヴェ・マリア(世界の歌)
新品最安価格:14%OFF ¥ 2,428 (3店出品)
レビュー平均: 5.0点 (2人がレビュー投稿)
5.0点 懐かしい…
5.0点 やわらかく心に響く歌声
発売日:1995-04-08
メーカー:EMIミュージック・ジャパン
アーティスト:中丸三千繪

♪大女優イヴォンヌ・プランタンのためのシャンソン風なワルツ

フランシス・プーランクは1899年1月7日、パリの下町ソーセ広場に生を受けました。
父親エミールは、後に半国営化した化学工業会社を営む経営者。
母ジェニーは木工品を取り扱う職人の家系で、アマチュアのピアニストでした。

裕福な家庭で母から音楽の影響を受けて育ったプーランクは、
個人的にピアノや対位法を学んだことはあるものの、
音楽学校で正規の音楽教育は受けずに、作曲の力を身につけていきました。

プーランクの音楽はクラシックというジャンルに区分されながらも、
軽音楽も好んだ母親の影響か、ほとんど俗音楽に近い面もあります。
歌曲「愛の小径」も、クラシック歌手とシャンソン歌手の双方が取り上げています。

第二次大戦中、パリがドイツ軍によって侵攻されていた最中、
プーランクはバリトン歌手のピエール・ベルナクとともに慰問活動をしていました。
そしてパリから200キロ離れた疎開先の、ノワゼーに久しぶりに戻った際に、
ジャン・アヌイの芝居「レオカディア-Leocadia」の再開公演を受けて、
この舞台のための劇付随音楽を作曲することになったのです。


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「愛の小径」はこの舞台の第3幕で、劇中歌として歌われる歌曲。
『イヴォンヌ・プランタンのためのワルツの調べ』という副題の通り、
当時のフランスの花形歌手であり女優だった、イヴォンヌ・プランタン
(1894–1977)のために書かれ、初演もプランタンによって歌われました。

原曲はピアノ、クラリネット、コントラバス、ファゴットと特殊な編成で、
パリの小劇場が似合う室内オーケストラ的な響きです。
これが現在ではフルオーケストラからピアノのみの伴奏版まで、
様々に編曲され、ジャンルを越えて幅広く親しまれています。

歌の歌詞は別れた恋人との、愛の日々を追想する内容です。
失われてしまった、楽しく輝いた幸福な瞬間に思いを馳せながらも、
涙を微笑みに変えようという、フランス的なエスプリが感じられます。
これはそのままプーランクの音楽ならではの洒脱ともいえます。


プーランク:愛の小径
Francis Poulenc: Les chemins de l'amour

*作曲者の著作権が存続中のため、ストリーミング再生のみです。



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2012年03月11日


フリース:モーツァルトの子守歌

アメイジング・グレイス~ベスト・オブ・ヘイリー
新品最安価格:14%OFF ¥ 2,130 (16店出品)
レビュー平均: 4.3点 (6人がレビュー投稿)
4.0点 十代特有の透明感のある声の魅力
4.0点 ちょっと触れるくらいがちょうどいい…
4.0点 誰が何と言おうと“妖精”
発売日:2007-01-24
メーカー:ユニバーサル ミュージック クラシック
アーティスト:ヘイリー アンドレア・ボチェッリ

♪シューベルト、ブラームスと並ぶ3大子守歌

クラシックには作曲者が違ったまま覚えられている曲がいくつかあります。
そしてそれらは大概、名のある大作曲家の作品とされています。

例えば…

ハイドンのセレナーデ
作曲者はオーストリアのベネディクト会の修道士ホーフシュテッターですが、
フランスの出版社が勝手にハイドン作として世に出してしまいました。

J.S.バッハのメヌエット
作曲者はオルガ二スト、作曲家のクリスティアン・ペツォールトですが、
バッハは作品集「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」に、
作曲家名を伏せてこの曲を記入したため、そのままバッハ作となっていました。

レオポルド・モーツァルトのおもちゃの交響曲
この曲は当初ハイドン作とされていたのが、モーツァルトの父、
レオポルド作ということになり、50年以上もの間そう信じられてきました。
しかし、最近ではチロル出身の作曲家で神父だった、
エトムント・アンゲラーの作品であるという説が有力になっています。

これらと同じような経緯を持つ作品に「モーツァルトの子守歌」があります。
この曲はモーツァルトが作曲した子守歌であるとして、
シューベルト作ブラームス作のものと共に親しまれていました。
日本でも「眠れよい子よ 庭や牧場に」の堀内敬三の訳詩で有名です。

しかし実際はベルリンの医学博士で、モーツァルトの大ファンだった、
ベルハント・フリースが、フリードリヒ・ウィリアム・ゴッターの詩に作曲し、
1795年ころに発表したものであることがわかっています。

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フリースの妻はモーツァルトのピアノの生徒で、その関係からか、
モーツァルトはこの曲の筆写譜を、遺品として残していました。
そしてモーツァルトの死後、彼の妻コンスタンツェの再婚相手である、
外交官ニッセンが「モーツァルト伝」を出版した際、
本の付録に子守歌をモーツァルト作として記載し、コンスタンツェもまた、
子守歌をモーツァルト作と認めたことが、誤りの発端だと言われています。

それでこの曲にはK.350という作品番号までつけられ、
そのまま疑われることもなく、長らく「モーツァルトの子守歌」とされていたのです。
ケッヘル番号の訂正が行われたのは、1964年の第6版以降のことでした。

しかし、モーツァルトの名前が大き過ぎるせいか、今も一般にはフリースではなく、
「モーツァルトの子守歌」と表記されるのがほとんどです。
また、この曲の旋律は、ドイツの古い民謡であるとも言われています。





フリース:モーツァルトの子守歌
Bernhard Flies:Wiegenlied (W.A.Mozart)



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2011年09月04日


ウェルナー:野ばら -Heideröslein-

ウィーンの森の物語 / ウィーン少年合唱団
新品最安価格:8%OFF ¥ 1,580 (3店出品)
レビュー平均: 4.7点 (3人がレビュー投稿)
5.0点 感動しました
5.0点 可憐な歌声に包まれてみませんか?
4.0点 美しい歌声!
発売日:1998-08-21
メーカー:EMIミュージック・ジャパン
アーティスト:ウィーン少年合唱団

♪日本ではシューベルト作と共に広く知られる「野ばら」

ハインリッヒ・ヴェルナー(1800-1833)は、ドイツ出身の音楽教師です。
教会のオルガニストで、合唱隊の指揮者だった父から音楽教育を受け、
少年聖歌隊の活動などを通して、才能を育んでいきました。

後にオペラハウスの合唱団長となり、教職の傍ら作曲活動も行いました。
『野ばら』は自身が指揮した男性合唱団のために作られた曲のひとつです。
他にも合唱曲や歌曲を作曲しましたが、今に残るのは『野ばら』のみです。

日本ではシューベルト版と共に有名な、ウェルナー版の『野ばら』の楽譜には、
「フランツ・シューベルトの影響のもとに ハインリッヒ・ウェルナー 1829年作」
と冒頭に表記されています。

シューベルト版とウェルナー版の『野ばら』は拍子こそ違いますが、
歌い出しの旋律の運びなど、とても似通ったところがあります。
シューベルトは1815年に、ウェルナーは1829年に『野ばら』を作曲しています。
楽譜の表記からも、ウェルナーがシューベルトを意識したことは間違いありません。

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そしてふたつの版は共に、近藤朔風による日本語訳なのですが、
両者の歌詞が微妙に違うのが面白いところです。


童は見たり 荒野のばら
朝とく清く 嬉しや見んと
走り寄りぬ
ばら ばら赤き 荒野のばら

  われは手折らん 荒野のばら
われはえ耐えじ 永久に忍べと
君を刺さん
ばら ばら赤き 荒野のばら

  童は折りぬ 荒野のばら
野ばらは刺せど 嘆きと仇に
手折られにけり
ばら ばら赤き 荒野のばら

(ウェルナー版・近藤朔風 訳)
シューベルト版はこちら


シューベルト版はメルヘンチックで、近藤のイメージも加味されているのに対し、
ウェルナー版はより原詩に近く、ゲーテの心情をダイレクトに伝えている感じです。
ゲーテは詩の中に性的な意味合いを隠し持たせた、との見方もありますが、
原詩やウェルナー版の訳からは、そうした趣きも感じられないではありません。

しかし少なくとも作曲者は、そうした意味合いを意識せず作曲したはずです。
それほどに旋律は流麗で美しく、野に咲くバラの気品を湛えています。
ゲーテが訪れた村ゼーゼンハイムの、都会から離れた美しい自然の風景と、
そこに暮らす娘フリーデリーケの、素朴で純真な姿が目に浮かぶようです。





ウェルナー:野ばら -Heideröslein-
Heinrich Werner:Heideröslein



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2011年08月29日


シューベルト:野ばら -Heideröslein- Op.3-3 D.257

アヴェ・マリア~シューベルト:歌曲集
新品最安価格:16%OFF ¥ 877 (14店出品)
レビュー平均: 5.0点 (5人がレビュー投稿)
5.0点 ミニョンの歌
5.0点 1814年10月19日
5.0点 心洗われる歌声の美しいこと
発売日:2004-01-21
メーカー:ワーナーミュージック・ジャパン
アーティスト:ボニー(バーバラ)

♪ゲーテの詩に作曲したシューベルト初期の傑作歌曲

歌曲王・シューベルトのリートの中でも、最も知られる代表的な作品です。
初期の歌曲としては『魔王』と並ぶ傑作とされています。

ゲーテによる原詩にはシューベルトの他、ウェルナー、シューマン、ブラームスなど、
多くの作曲家が曲を付けていて、その数は150を越えると言われています。
そうした多くの作品の中では、シューベルトとウェルナーのものが突出していて、
日本では近藤朔風の訳詩によって長く親しまれてきました。


童は見たり 野なかのばら
清らに咲ける その色愛でつ
飽かず眺む
紅におう 野なかのばら

手折りて往かん 野なかのばら
手折らば手折れ 思い出ぐさに
君を刺さん
紅におう 野なかのばら

童は折りぬ 野なかのばら
折られて哀れ 清らの色香
永久にあせぬ
紅におう 野なかのばら

(シューベルト版・近藤朔風 訳)
ウェルナー版はこちら


少年が野に咲くバラを見つけ、それに駆け寄り見とれていた

「お前を折るよ」と少年が言うと「それなら私はあなたを刺します
あなたが私を忘れないように」とバラは応えた

バラの抵抗とため息、嘆きも虚しく、少年はバラを折ってしまった…


というのが原詩の大意ですが、ここには若き日のゲーテの、
恋愛に纏わる悔恨の思いが込められていると言われています。

当時21歳の学生だったゲーテは、ゼーゼンハイムという田舎の村で、
訪れた牧師の家の三女、フリーデリーケにひとめぼれをしました。
ふたりは1年ほど交際を続けましたが、大学を卒業したゲーテは学業を究めるため、
黙って彼女のもとを去って行ってしまいました。

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フリーデリーケは、ゲーテの突然の行為に傷つきつつも、
彼への純粋な思いから、そのまま独身を貫き生涯を終えたのです。
つまり少年は若きゲーテ、野ばらはフリーデリーケということです。

こうした詩にシューベルトはあえて、素朴で清廉な曲を付けました。
あくまでふたりの純真な愛に、焦点を当てたかったのかもしれません。

ゲーテの詩に作曲したシューベルトの作品を、
友人がゲーテに渡すという機会がありましたが、
それに対してゲーテからは、何の返事もなかったということです。





シューベルト:野ばら -Heideröslein- Op.3-3 D.257
Franz Peter Schubert:Heidenröslein Op.3-3 D.257



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2011年07月18日


ヘンデル:オラトリオ《マカベウスのユダ》第3幕 『見よ、勇者は帰る』

狩人の合唱/合唱名曲集
定価:¥ 1,260
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レビュー平均: 4.0点 (1人がレビュー投稿)
4.0点 懐かしい・・
発売日:1997-10-08
メーカー:マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
アーティスト:ボルフスブルク合唱団 ロイヤル男声合唱団

♪日本ではスポーツ大会や学校行事の表彰式BGMとして有名

生活に密着したクラシック音楽には様々なものがあります。
年末のベートーヴェン「第九」、夕方下校時のドヴォルザーク「家路(新世界より)」など、
その枚挙に暇がありませんが、この曲も誰もが一度は耳にしたことがあるはずです。

スポーツの大会や学校行事の表彰式などで、必ずと言っていいほど使われています。
それがヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ」第三幕の「見よ、勇者は帰る」です。

マカべウスのユダは、ユダヤを勝利に導いた人物。
一般にはブラス合奏の印象が強いこの曲ですが、
オリジナルはオラトリオの中で、英雄の帰還を称える壮大な合唱曲です。

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「見よ、勇者は帰る」が日本で演奏され始めたのは明治時代のこと。
以来、表彰式の定番として広まり、今に至っています。

「マカベウスのユダ」は1747年4月にロンドンのコヴェント・ガーデンで初演されました。
そして後にスイスの牧師エドモンド・ルイス・バドリーが1884年に歌詞をつけ、
賛美歌「Thine Is the Glory(栄光は汝に)」としても親しまれるようになりました。

*現在、サッカーのなでしこジャパンの快挙を見ながらこの文章を書いていました。
あまりのタイミングのよさに驚きです。なでしこのみなさん、おめでとうございます!





ヘンデル:オラトリオ《マカベウスのユダ》第3幕 『見よ、勇者は帰る』
Georg Friedrich Handel:Judas Macabeus act3
"See the conquering Hero Comes"



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2011年07月03日


ベートーヴェン:優しき愛 - Ich liebe dich(君を愛す) WoO.123

ベートーヴェン:歌曲集
定価:¥ 1,300
新品最安価格:26%OFF ¥ 950 (8店出品)
発売日:2006-09-20
メーカー:EMIミュージック・ジャパン
カテゴリー:CD
アーティスト:プライ(ヘルマン)
時間:54(分)

♪純愛を歌って有名なベートーヴェンの代表的歌曲

学校の音楽室にあるお馴染みの、ベートーヴェン晩年の肖像画は、
どこか気難しく頑固で近寄り難い印象です。
そしてあれこそが一般的なベートーヴェンのイメージだと思いますが、
若い頃の彼はむしろ社交的で明るく、サロンを賑わした青年音楽家でした。

『優しき愛』はそんなベートーヴェン若かりし日の、まっすぐな純愛を歌った歌曲です。
彼がウィーンに移住し、ピアノの即興演奏の名手として名を挙げていた、
1795年頃にカール・フリードリヒ・ヘロゼーの詩を用いて作曲されました。


君を愛している 僕のことを君が愛しているように
昼も夜も ふたりが憂いを分かち合わない日は一日もなかった

ふたりで分かちあえば どんな憂いにも耐えられた
僕の悲しみには君が慰めとなり 君の嘆きには僕も涙した

だから神様の祝福が君にありますように
僕のいのちのよろこびである君よ

どうか神様が君を護ってくださいますように
僕たちふたりを護ってくださいますように


ヘロゼーはドレスデンや生地であるベルリンで副牧師を務めた人物です。
敬虔な啓蒙思想に基づき指導する教育者でもありました。
ベートーヴェンが選んだこの詩には、男女の愛の理想像が描かれています。

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『優しき愛 - Zärtliche Liebe』が原題となっているこの歌曲ですが、
一般には『Ich liebe dich - 君を愛す』などの通称で知られています。
これは歌いだしの「Ich liebe dich, so wie du mich,」からくるもので、
「Ich liebe dich」とは英語で「I Love You」を意味しています。

またベートーヴェンの大半の歌曲には生前、作品番号がありませんでした。
そのためこの曲にはキンスキーとハルムによって編集された作品目録の番号、
WoO.(Werke ohne Opuszahl 作品番号なし)が用いられています。





ベートーヴェン:優しき愛 - Ich liebe dich(君を愛す) WoO.123
L.V.Beethoven:Zärtliche Liebe (Ich liebe dich) WoO.123



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posted by CMSL クラシック名曲サウンドライブラリー at 12:18 | 声楽曲 (Vocal music) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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