
アントン・ブルックナーの交響曲第8番ハ短調は、ブルックナーの作曲した10曲目の交響曲です。演奏時間80分を越すこともある長大な曲で、後期ロマン派音楽の代表作の一つに挙げられます。
交響曲作家であるブルックナーの作品中でも極めて完成度が高く、充実した内容をもっています。わけても演奏時間25分におよぶ第3楽章アダージョの美しさは比類なく、ブルックナー音楽の最高峰と言っていい至極の名品です。
ブルックナーはこの交響曲以降、ベートーヴェンの交響曲第9番と同様の第2楽章にスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章を置く楽章配置を採用するようになりました。
作曲が開始されたのは、交響曲第7番の初演準備をしていた1884年7月で、1887年夏に第1稿が完成しています。しかし、「私の芸術上の父」と敬愛した指揮者ヘルマン・レヴィから「演奏不可能」と言われたブルックナーは落胆し、第8番の全面改訂を決意。
まず1889年3月4日から5月8日にかけて第3楽章が改訂され、続いて第4楽章の改訂が年7月31日まで行われました。さらに第2楽章スケルツォが改訂され、そして第1楽章、1890年3月10日に改訂は終了しました。これが「1890年・第2稿」であり、現在の演奏はほとんどこの稿を採用しています。
ブルックナーは同時期に交響曲第4番、第3番の改訂も行っています。この時点で第9番の作曲もある程度が進んでいましたが、この晩年の改訂期のために中断を余儀なくされ、結局未完に終わっています。
交響曲第8番の初演は1892年12月18日、ハンス・リヒターの指揮によりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会で行われました。ヘルマン・レヴィは当初マンハイムでカペルマイスター(楽長)を務めていたフェリックス・ワインガルトナーをブルックナーに推薦しました。
ところが、ワインガルトナーは全く返事をせず、ブルックナーから再三の要請を受けた後、1891年4月に辞退の手紙を書きました。そのため初演指揮者が見つからない時期がありました。そこでリヒターが1892年度のウィーン・フィル定期演奏会で初演することが決まったのでした。
初演時のウィーン楽友協会の大ホールには、ヨハネス・ブラームスやフーゴー・ヴォルフなどの著名な音楽家たちも聴衆として訪れました。全曲中で特に第2楽章スケルツォと第3楽章アダージョが好評を受けました。ヴォルフは初演の1週間後に、この作品の成功を「闇に対する光の完全な勝利」と評しています。
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