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2020年04月02日


チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》 第4楽章 [2020][AR] / Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique":IV. Finale. Adagio lamentoso

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♪短調のまま消え入るように終わる異質な最終楽章

「悲愴」の初演から4日後、チャイコフスキーはあまりに突然に死を迎えてしまいました。一般的に信じられているのは、生水を飲んだため当時、流行していたコレラにかかり亡くなったというもの。

弟のモデストによれば、チャイコフスキーは1893年10月20日の夜、アレクサンドリン劇場でオストロフスキーの劇を見た後、「レイネル」という名のレストランで甥たちと共に夕食をとりました。翌21日の朝、チャイコフスキーは腹痛を訴え、朝食には起きて来ませんでした。前日の昼食で生水を飲んでコレラにかかったのです。

また、チャイコフスキーの妹アレクサンドラの末息子でクリンの記念館の館長を務めていたユーリイ・ダビドフは、前夜のレストランでの会食の際、チャイコフスキーは皆が止めるのを聞かずに、生水を飲んだと伝えています。

彼は回想記でチャイコフスキーの死にまつわり新聞で噂された毒殺、自殺、その他の説について触れ、「このようなことはすべて根も葉もない話です。私は確信をもって証言します。ピョートルおじさんを死なせたのは正真正銘のコレラで、その当然の余病が腎臓にきて尿毒症を引き起こし、そのために衰弱した身体が回復できなかったのです」と述べていました。




しかしその一方で、コレラによる死者の措置は厳重に監視されていたのにチャイコフスキーの場合は例外で、その遺体は自身の住居に安置されたままでした。さらに、故人の死を悼み数百人の弔問客がこの部屋を訪れ、遺体の手や顔に接吻をしましたが、誰ひとりとしてコレラに罹患した者はいなかったといわれています。

このため、チャイコフスキーの死は生水を飲んでコレラにかかったのが理由ではなく、当時は重罪だった同性愛が発覚して、名誉法廷で作曲家が自殺するという判決が下されたためとの説もあります。チャイコフスキーが飲んだのは砒素系の毒が入った水だったとされています。真相は今も不明のままです。

当時、すでに名声を得ていたチャイコフスキーの死は衝撃をもって全世界に伝えられ、11月7日のナブラーヴニク指揮による「悲愴」の再演は凄まじい反響を呼びました。チャイコフスキーが自殺したとの噂と重なり、この交響曲は多くの物語を生みました。そして、1890年代のうちにチャイコフスキーの名を全ヨーロッパに広めました。

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2020年03月27日


チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》 第1楽章 [2020][AR] / Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique":I. Adagio - Allegro non troppo

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♪最晩年のチャイコフスキーが遺した人生をかけた一大傑作

交響曲第6番ロ短調 作品74は、チャイコフスキーが作曲した6番目の番号付き交響曲にして、彼が完成させた最後の交響曲。『悲愴』(ひそう)という副題でも知られています。

チャイコフスキー最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価されています。

弟のモデストはこの曲のテーマとしていくつかの証言を残していますが、チャイコフスキー自身は「人生について」としか語っていません。リムスキー=コルサコフの回想によれば、初演の際、演奏会の休憩中にチャイコフスキーに「この交響曲には何か表題があるのでしょう」と確かめると彼は「無論あります。しかし何と言ってよいか説明できかねます」と答えたといいます。

チャイコフスキー自身は世評を気にしがちなタイプでしたが、この曲については大きな自信を持っていました。完成後に出版商のユルゲンソンに送った手紙の中に「傑作を書きました。これは私の心からの真実と申しましょう。私は今までにないほどの誇りと満足とよろこびを感じています」と書いたほか、コンスタンチン大公には「私は今度の交響曲の作曲に全精神を打ち込みました」と伝えています。

また初演後は周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えです」と語っていました。




チャイコフスキーは1891年に着想を得た変ホ長調の交響曲(自身で『人生』というタイトルをつけていた)を途中まで書いたところで、出来ばえに満足出来ず破棄し、ピアノ協奏曲第3番に改作しました(未完)。しかしこの「人生」というテーマは彼の中で引き継がれていたようで、資料によれば1893年2月17日に第3楽章から第6交響曲の作曲に着手しました。

作業は急ピッチで進められ、それから半年後の8月25日にはオーケレストレーションまで完成し、同年10月16日に作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演されました。あまりに独創的な終楽章もあってか、初演では当惑する聴衆もいたものの、この曲へのチャイコフスキーの自信が揺らぐことはありませんでした。しかし初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となりました。

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2020年03月21日


チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 Op.64 第2楽章 [2020][AR] / Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64:II. Andante cantabile

Tchaikovsky-06.jpg♪2つの美しい主題が織りなす感動的な音楽模様

交響曲第5番ホ短調 作品64は、チャイコフスキーが1888年に作曲した交響曲。チャイコフスキーの数ある曲中でも交響曲第6番『悲愴』と並ぶ人気曲となっています。

チャイコフスキーは1877年に交響曲第4番を作曲したあと、『マンフレッド交響曲』を作曲したほかは、交響曲から遠ざかっていました。しかし、1886年にヨーロッパに演奏旅行し、当地で好評を得たことや、マーラーやリヒャルト・シュトラウス、グリーグら作曲家との交流が刺激となり、意欲を取り戻したといわれます。作曲者48歳、1888年の5月から8月にかけて作曲されました。

同年11月、作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演されました。初演では、聴衆は好意的でしたが、「チャイコフスキーは枯渇した」、「3つのワルツを持つ交響曲」などといわれ、専門家の批評は芳しくなく、チャイコフスキー自身もこの曲について「こしらえ物の不誠実さがある」と手紙に書くほどでした。

しかし、その後は演奏会のたびごとに大好評となり、成功作として本人も評価するようになりました。




第2楽章は厳かでやや陰鬱な弦の序奏のあと、夢幻的であまりに美しい主題がホルンのソロで奏でられます。この主題が弦によって再現されると、息をつく間もなくさらに美しい第2主題が続けて演奏されます。それぞれが別個の楽章の主要主題にできるほどの優れた旋律で、これが惜しげもなく一度に使用されるところにこの楽章の特別さがあります。また、クラシックでも屈指のメロディメイカーの彼だからこそ成せる技とも言えます。

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posted by アンドウトワ at 10:37 | 交響曲 (Symphony) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月29日


シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 Op.97「ライン」第1楽章 [2020][AR] / Robert Schumann:Symphony No.3 in E flat major, Op.97 "Rheinische":I. Lebhaft

schumann05.jpg♪宇宙の悠久の時の流れを表したかのような雄大なシンフォニー

シューマンの交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」は、1850年に作曲され1851年2月6日にデュッセルドルフにおいてシューマン自身の指揮によって初演されました。

シューマンが完成した4番目の交響曲で、実質的には最後のものにあたります。しかし、2番目のものが後年改訂出版されて「第4番」とされたため、第3番に繰り上がりました。「ライン」の副題はシューマン自身が付けたものではありません。

日本初演は1927年9月25日、日本青年館にて近衛秀麿と新交響楽団によって行われました。シューマンの交響曲のなかで最も早く日本で演奏されています。

1850年、デュッセルドルフの管弦楽団・合唱団の音楽監督に招かれたシューマンは、9月に同地に到着すると夫妻で盛大な歓迎を受けました。シューマンはライン川沿岸を好んで散歩し、9月と11月にはライン川上流に位置するケルンにも足を延ばしました。

壮麗なケルン大聖堂に感銘を受け、折しもこの時期に挙行されたケルン大司教ヨハネス・フォン・ガイセルの枢機卿就任式の報に接し、交響曲の霊感を得たといいます。

シューマンは同年11月にチェロ協奏曲を完成させると、直ちにに交響曲の作曲に取りかかり12月には完成しています。

シューマンはライン川の川下りやそれを取り巻く環境に大いに触発され、第1楽章(ローレライ)、第2楽章(コブレンツからボン)、第3楽章(ボンからケルン)、第4楽章(ケルンの大聖堂)、第5楽章(デュッセルドルフのカーニヴァル)など、その音楽もまたラインに関連が深くなっています。



「ライン」はシューマンの交響曲のなかでも極めて音楽的な充実度が高く、そのインスピレーションにはベートーヴェンの大作群にも通じるものがあります。

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2020年02月11日


メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 Op.90『イタリア』第1楽章 [2020][AR] / Felix Mendelssohn:Symphony No.4 in A major, Op.90 "Italian":I. Allegro vivace

Mendelssohn-07.jpg♪イタリア旅行の快活な気分を描いた躍動感あふれる音楽

交響曲第4番イ長調『イタリア』はフェリックス・メンデルスゾーンが1831年から1833年にかけて作曲した交響曲です。

メンデルスゾーンの交響曲は全部で17曲におよびますが、はじめの「弦楽のための交響曲」12曲は弦楽合奏用の習作的なものであり、その後の5曲が番号付き交響曲として数えられています。

「第4番」は出版順で「イタリア」は5曲の中では第1番、第5番「宗教改革」に次いで実質3番目に完成されました。「イタリア」の後の作曲順は、第2番「賛歌」、第3番「スコットランド」です。

イタリア旅行中に書き始められたこの曲は、躍動的なリズム、叙情と熱狂、長調と短調の交錯による明暗の表出が特徴的で、メンデルスゾーンの交響曲の中でも最も親しまれています。



1830年10月から翌1831年4月にかけてイタリアに旅行したメンデルスゾーンは、ローマでは謝肉祭や教皇グレゴリウス16世の就任式などを目にしました。その間にこの曲の着想を得て、作曲に取りかかったことが彼の手紙などから分かっています。しかし作曲は旅行中には仕上がらず、一度は中断しました。

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2020年01月28日


シューベルト:交響曲 第8番 ロ短調 D759『未完成』第1楽章 [2020][AR] / Franz Peter Schubert:Symphony No.8 in B minor, D.759 "Unfinished":I. Allegro moderato

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♪未完のままに終わった理由は今も謎のまま…

交響曲第8番『未完成』はオーストリアの作曲家、フランツ・シューベルトが1822年に作曲した未完の交響曲です。

シューベルトの代表作のひとつであり、ベートーヴェンの『運命』、ドヴォルザークの『新世界』などと並んで「三大交響曲」に数えられることもある人気作です。かつてのレコード業界では『運命』と『未完成』は定番のカップリングでした。



シューベルトは25歳でグラーツ楽友協会から「名誉ディプロマ」を授与された際、返礼として交響曲の作曲に取り掛かりました。しかし、シューベルトが送付したのは第1楽章と第2楽章だけで、残りの楽章は送付しなかったとされています。

そのままシューベルトは別の交響曲(ハ長調 D 944)の作曲を開始。結局、ロ短調交響曲を完成させる前に逝去しました。シューベルトの名声が確実なものとなった没後数十年を経て、残された2楽章分のみが出版されることになりました。

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2020年01月22日


フォーレ:月の光 Op.46-2(Clair de lune)[2020][AR] / Gabriel Urbain Faure:Clair de lune Op.46-2

Faure.gif♪ヴェルレーヌの詩に作曲された美しい歌曲

『月の光』は、ポール・ヴェルレーヌによる1869年のフランス語詩です。

この詩はドビュッシーのベルガマスク組曲(1890年)の中の、最も有名な同名の第3曲に着想を与えました。ドビュッシーはこの他に、声楽とピアノ伴奏のためにこの詩の楽曲(歌曲)を2曲作りました。

またガブリエル・フォーレおよびユゼフ・シュルツ (英語版)によるこの詩の歌曲も作られています。



フォーレの『月の光』は、歌曲集『2つの歌』Op.46の第2曲。これ以後の7年間、フォーレはヴェルレーヌの詩に集中的に作曲するようになります。

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ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 Op.73 第4楽章 [2020][AR] / Johannes Brahms:Symphony No.2 in D major, Op.73:IV:Allegro con spirito

Brahms-03.jpg♪風光明媚な避暑地での快活な気分にあふれる楽章

ブラームスは、避暑で訪れたペルチャッハから批評家エドゥアルト・ハンスリックに宛てた手紙に「ヴェルター湖畔の地にはメロディがたくさん飛び交っているので、それを踏みつぶしてしまわないよう、とあなたは言われることでしょう。」と書き送っています。

その後ブラームスは2年間続けてペルチャッハで夏を過ごし、この地でヴァイオリン協奏曲やヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」などが生み出されました。



ブラームスの親友のひとりである外科医のテオドール・ビルロートは、第2交響曲に接して「ペルチャッハはどんなに美しいところなのだろう。」と語ったとされます。

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posted by アンドウトワ at 14:42 | 交響曲 (Symphony) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 Op.73 第1楽章 [2020][AR] / Johannes Brahms:Symphony No.2 in D major, Op.73:I. Allegro non troppo

Brahms-05.jpg♪「ブラームスの田園」とも呼ばれる明るく開放感に満ちた交響曲

1877年6月、ブラームスは南オーストリアのケルンテン地方、ヴェルター湖畔にあるペルチャッハに避暑のため滞在、第2交響曲の作曲に着手し、9月にはほぼ完成しました。

10月にバーデン近郊のリヒテンタールに移り、そこで全曲を書き上げています。

4ヶ月間の作曲期間は、第1交響曲の推敲を重ねて20年あまりを要したのと対照的ですが、第1交響曲の作曲中にも準備が進められていたという説もあります。



ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」にたとえられ、伸びやかで快活な気分が全体を占めています。このことから「ブラームスの『田園』交響曲」と呼ばれることもあります。

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2019年12月25日


ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 第3楽章 [2019][AR] / L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 III. Adagio molto e cantabile

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♪まるで天上世界のように美しい第3楽章

短調の激しい二つの楽章が終わると、別世界の音楽のように始まるのが第3楽章です。

ベートーヴェンは1822年夏に「第9」の作曲に着手すると、まずは第1楽章を完成させ、
次いで第3楽章、第2楽章、最後に第4楽章の順で作曲の作業を進めました。




第3楽章には特別なインスピレーションを感じるに感動的な部分がいくつかあります。

ひとつは気品ある第1主題に続いて、愛らしい第2主題が始まる場面。
B♭からDという遠隔調への転調ながら不自然さがなく、
旋律が始まるのを聴くたびに、言葉にならない感情が込み上げてきます。

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posted by アンドウトワ at 07:01 | 交響曲 (Symphony) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする