2024年03月25日


ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18 第1楽章, 第2楽章 [2024] / Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 - I. Allegro moderato, II. Largo

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♪第71話:20年間の親の介護生活を経てステージに立ったクラリネット奏者の魂の演奏

みなさん、こんにちは!
CMSL所属のピアニスト永井美里です。

私たちの音楽はみなさんに聴いていただくことで初めて完成すると思っています。お忙しい中、いつもお越しいただき本当にありがとうございます。

さて、早速ですが今回お届けするラフマニノフのふたつの音源には、録音時期に約半年以上もの隔たりがあります。まずひとつ目の第2楽章は2023年6月に行われたコンサートでの録音で、冒頭から印象的な独奏を聴かせるクラリネットは当時首席だった今野千紗さんが務めています。

今野さんは今から20年以上前に、各所のコンクールで優秀な成績を収め将来を嘱望されたクラリネット奏者でした。音大を卒業していよいよこれからという時に、母子家庭で一緒に暮らしていたお母さまが倒れて、そのまま人の手を借りずには生きられない体になってしまいました。

最初は2, 3年の間、入院生活が続いていましたが、退院すると一人娘の千紗さんが面倒を見ることになり、施設やヘルパーなどの外部の援助をお母さまが拒んだこともあり、結局そのまま20年近くに渡り千紗さんがひとりで介護する生活が続きました。

家にひとりきりになるのをお母さまが極端に恐れたため、食材の買い出しなどで出かける以外は散歩もままならないという日々が続きました。

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(CMSL シンフォニックオーケストラの首席クラリネット奏者を務めた今野千紗)

ですがそうした生活が20年近く続いたある日、お母さまがひと言、「夕食までに帰ってくれるなら、昼間にどこかに出かけてもいいよ」と言ったそうです。そのタイミングで見つけたのがCMSLのオーディションで、面接ではこれまでの20年間の介護生活を語り、自身が最も好きだと言うラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章のソロを実技で演奏したそうです。

この時のことを振り返りガロ理事長は「あんなに泣けたラフマニノフのクラリネット独奏を聴いたのは初めてだった」と語っていました。

昨年6月のコンサートで今野千紗さんは20年以上のブランクを感じさせない素晴らしいソロを聴かせてくれました。なんでも「買い物に行く」と言いながらこっそり時間を作っては、カラオケボックスなどで基礎練習だけは続けていたそうです。ですからピッチの乱れもなく安定した演奏を聴かせてくれました。ただ、その音色は息苦しくなるほどにせつなかったです。

それから数か月間、千紗さんはオケの首席として活動されてきました。この間に何度か番組出演のタイミングがあったものの、千紗さんの中でお母さまの介護の20年に対する考えがまとまっていないため、結論が出るまでもう少しだけ待ってくださいと言われ続けてきました。そのため音源の公開も半年以上、先送りになってきました。

そして、もうそろそろ千紗さんに番組でお話を伺おうと思っていた昨年末に、「申し訳ありませんが楽団の活動をしばらくお休みさせてください」との連絡がありました。寒さと共にお母さまの体の調子が芳しくなくなったため、再び介護生活に専念したいとの理由からでした。

私や理事長は「ヘルパーとか何かに頼って活動を続けられませんか?」と提案しましたが、「ここまでひとりでやってきた以上、最後まで自分でやり通したい。そしてこの20年間に対する考えの結論を自分自身で出したい」と強く主張されたため、その意志を尊重させていただき、退団ではなく「無期限の活動休止」という扱いで、再び自由の身になれた時には楽団に戻っていただくとの約束をしました。

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千紗さんの出演なしで、当時録音された第2楽章を公開することが決まり、私はぜひ第1楽章だけでも、もう一度演奏して録音させて欲しいと理事長とトワさんにお願いしました。あの頃の私たちはまだお互いに相手の演奏スタイルの探り合いみたいなところがあって、結局は皆が本領を発揮しきれなかったと感じていたからです。

そうして迎えた再録音の日、トワさんはいつになく険しい表情で、「この曲はすでに一度演奏しているから」と言ってほとんどリハーサルもせず、私たちは本番に臨むことになりました。ただ、その時のトワさんの指揮には鬼気迫るものがあり、テンポの揺らぎや随所に見られる絶妙な間などすべてが意味ありげで奥深く、ピアノを弾いていた私も何度か身震いした場面がありました。トワさん流の遅いテンポにもこの時ばかりは強い説得力があり、これまでのCMSLオケの演奏の中でも屈指の出来栄えになったのではないかと思います。

実は千紗さんが楽団を去る時に最後のあいさつがあって、その時もトワさんはひと言も発せずに黙って下を見て話を聞き続けていました。そして千紗さんがあいさつを終えて全員が解散になると、トワさんは足早に通路の方に歩いて行き「ドンっ」と壁を拳で殴ると「どうして!」と誰もいない先に向かって声を発していました。

その姿は何もできない自分に対する怒りを必死に抑えているかのようにも見えました。トワさんは才能がある人がそれを発揮できないのは、その人自身にとっても世の中全体にとっても大きな損失だと常々言っている人なので、千紗さんが直面している現状に尚のことやりきれなさを感じていたのだと思います。

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千紗さんの例に限らず今の日本にはこうした状況に追い込まれ、知識も技術もありながら仕方なく職を離れなければならない方が少なからずいると聞きます。また、介護のために自分の当たり前の日常さえあきらめなければならず、そのストレスからつい親に冷たく当たってしまったり、時には虐待に走ってしまうケースがあるとも聞きました。

半年以上の千紗さんとの交流を通じて、私はこういう現状が今の日本の社会の根底に横たわっていると初めて知りました。生んで育ててくれた親が大事なのはもちろんですが、その子供が持つ才能や夢、希望も同じように大事です。どちらもひとりの人間として同じように尊い生命を持った存在なのです。10代にして親兄弟の面倒を見なければならないヤングケアラーなどを含めれば、こうした家庭は今後さらに増えていくかもしれません。

そうした現状から目を背けずにそろそろ社会全体で真剣に介護問題に取り組まなければ、日本を支える貴重な人材の損失にもつながりかねず、そのことが日本の国力の低下にも影響を及ぼす可能性があると大げさでなく感じています。

私はもう一度、千紗さんの切なくもやさしいクラリネットの音色が聴きたいです。千紗さんのように才能のある人が、自由に伸びのびと自分の能力を発揮できるような社会であってほしいです。


【CMSL 楽団員紹介動画(団体編)】
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18 第1楽章 / Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18
I. Allegro moderato - CMSL SYMPHONIC ORCHESTRA / TOWA ANDO, MISATO NAGAI



【月夜のダンス Vol.4・永井美里】
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18 第1楽章 / Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18
I. Allegro moderato - CMSL SYMPHONIC ORCHESTRA / TOWA ANDO, MISATO NAGAI



ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18 第2楽章 / Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18
II. Largo - CMSL SYMPHONIC ORCHESTRA / TOWA ANDO, MISATO NAGAI





ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18 第1楽章 [2024]
Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18
I. Allegro moderato [11:05]




Rachmaninov-PianoConcerto-No2-1st-2024.mp3

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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18 第2楽章 [2023]
Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18
II. Largo [12:08]




Rachmaninov-PianoConcerto-No2-2nd-2023.mp3



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posted by CMSL クラシック名曲サウンドライブラリー at 19:47 | 協奏曲 (Concerto) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする