2013年07月10日


チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》 第1楽章 [新録音2013]

チャイコフスキー:交響曲第6番
5.0 悲愴の頂点
5.0 お気に入りの第一位
5.0 カラヤンの十八番
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カラヤン(ヘルベルト・フォン)
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♪生きることへの憧憬と死の絶望…作曲家の白鳥の歌

時代から時代へ、世代から世代へ、我々のチャイコフスキーに対する、
彼の美しい音楽に対する愛情は引き継がれていく。
だから彼の音楽は不滅であるのだ。
                               D.ショスタコーヴィチ

それまでも一流の作曲家としての名声を手にしていたチャイコフスキー。
彼が最後の最後に初めて、自己の隠された内面をさらけ出し、
類を見ない霊感をもって書き上げたのが、交響曲第6番《悲愴》です。

書きながら涙で何度もスコアが見えなくなったというこの曲に、
チャイコフスキーは並々ならぬ自信と誇りをもっていたようです。

『正直に言って私はほんとうに良いものを作ったことに満足し、誇りを感じ幸せに思います。
これほどのよろこびは、一生涯でも初めてのことです。』
(1893年8月12日付け 出版商ユルゲンソンへの手紙)

『私は今度の交響曲の作曲に、全精神を打ち込みました。
この曲がお気に入って、好ましく思ってくださることを願っております。』
(コンスタンチン大公への手紙)

初演こそ、暗く終わる第4楽章など、あまりに異質なこの交響曲に観客の理解が及ばず、
拍手もまばらなものだったといいますが、その後ほどなくして彼が突然亡くなり、
二週間後に開かれた追悼演奏会では、観客が涙を流して聴き入り、
演奏が終わってからも、しばらく誰も席を立つ者がなかったほどだといいます。
作品に込められた作曲家の真意と覚悟が伝わってきたのかもしれません。

初演から8日後に突然亡くなったチャイコフスキーの死因については、
生水を飲んでコレラに感染した、あるいは当時重罪だった同性愛が発覚して、
死をも覚悟しなければならなかったなどの説があります。

これぞという決定打は出ていないものの、チャイコフスキーが何かを意識しながら、
尋常ではない集中力と、渾身の意志力をもってこの曲の作曲にあたったことは明らかです。
そこには自分の人生の集大成を見せようという決意が感じられます。

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決して前向きな終わり方とはいえません。
短調のまま消え入るように結ぶ交響曲は初めてのことだったでしょう。
しかし、この作品には作曲家の嘘偽らざる本心がむき出しに描かれており、
その誠実さとまっすぐな思いに聴くものは心打たれるのです。

そして何よりこの曲には、作曲家が人生を愛し、人を愛したからこそ、
それに別れを告げなければならないことの悲しみがあふれているのです。
内面の慟哭をさらけ出した第1楽章展開部(11:12)は全曲中の頂点ですが、
それに続く再現部(15:55)にこそ、人生を愛してやまない彼の真意と、
生きることへの憧憬が感じられて、私は聴くたび涙を禁じ得ないのです。





チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》 第1楽章 [新録音2013] [20:25]
Peter Ilyich Tchaikovsky: Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathétique"
1. Adagio - Allegro non troppo



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posted by CMSL クラシック名曲サウンドライブラリー at 16:07 | 交響曲 (Symphony) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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