2013年06月23日


シューベルト:交響曲第8番 ロ短調 D.759 「未完成」 第1楽章 [新録音2013]

シューベルト:交響曲第8番&第9番
5.0 わたしにとっての決定盤
5.0 殊に「ザ・グレート」は歴史的名盤!!
5.0 武骨と気品を兼ね備えたシューベルト
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♪作曲から43年を経て初演されたシューベルトの最高傑作

ベートーヴェンの「運命」とシューベルトの「未完成」といえば、一昔前までは、
LPレコードやCDで必ずと言っていいほどカップリングされた、交響曲の2大有名曲でした。
今でもこの2曲に加え、ドヴォルザークの「新世界より」で、3大交響曲と称されたりもします。

「未完成」は言うまでもないシューベルトの代表的な傑作で、
その楽想に湛えられたインスピレーションには、天才としかいいようのないものがあります。
しかし、この曲はタイトルが示す通り、第2楽章までの未完の作品です。
第3楽章スケルツォは9小節のみにオーケストレーションが施され、
残りの一部分がピアノのスケッチとして残されるにとどまっています。

なぜこうなったかについてブラームスは、「ふたつの楽章だけでも内容的に十分で、
シューベルトは天才の直感として、途中で筆を置いたのだろう」と言っています。
これが大方の見方にもなっていますが、真相は謎のままです。

この曲が作曲されたのは1822年、シューベルトが25歳の時のことです。
当時、ウィーンにはシューベルトの音楽を愛好する者たちの集いが組織されました。
彼らはシューベルトの才能を称え、後援するために親睦会を開き、
そこで作品を合唱したり、踊ったり、演説したりと楽しみながら活動していました。

メンバーにはアンセルムとヨーゼフという、ヒュッテンブレンナー兄弟がいました。
ふたりはグラーツの出身で、アンセルムは音楽家、ヨーゼフは官吏でした。
グラーツに帰り、この街の有力な音楽家となったアンセルムは、
1823年にシューベルトを、グラーツ市音楽協会の名誉会員に推薦しました。

これに対してシューベルトは、協会に交響曲をひとつ贈るという旨の礼状を書きました。
しかし、新作の筆は進まず、やむなく前年に書かれた、まだ作曲途中の作品を、
グラーツにいるアンセルムのもとへと送ったのです。
「1822年10月30日」と日付が記されたこの作品こそが、のちの「未完成」だったのです。

とりあえずは第1、第2楽章を送り、様子を見て続きを書くつもりだったかもしれません。
しかし、待てど暮らせど、アンセルムからの返事はありません。
そのまま数年が過ぎ、1828年、31歳にしてシューベルトは亡くなってしまいました。
この後、なんと37年の間、「未完成」はアンセルムの書斎に眠ることになります。

1865年5月1日、ウィーン楽友協会管弦楽団の指揮者ヨハン・ヘルベックは、
グラーツ郊外に住むアンセルムの自宅を訪ねました。
5年前に弟ヨーゼフからの手紙で知った、シューベルトの未発表作を受け取るためです。

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書斎に散らばる楽譜の中からアンセルムは、「交響曲ロ短調」と書かれた譜面を取り出し、
「私はシューベルトの作品をたくさん持っていますが、これが未完成の交響曲です。
美しい曲です。」と言って、待ち焦がれるヘルベックに手渡しました。
紛れもないシューベルトの自筆に、ヘルベックはよろこびを抑え切れませんでした。

こうして長い眠りから甦った未完成交響曲は、1865年12月17日、
ヨハン・ヘルベックの指揮でウィーン楽友協会管弦楽団によって初演されました。
作曲された1822年から実に、43年の月日が流れていました。

この後、「未完成」は瞬く間にシューベルトの傑作として世に広まり、
現代に至るまで多くの人々の心を癒し続けています。





シューベルト:交響曲第8番 ロ短調 D.759 「未完成」 第1楽章 [新録音2013] [12:14]
Franz Schubert:Symphony No.8 in B minor, D.759 "Unfinished"
1. Allegro moderato



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posted by CMSL クラシック名曲サウンドライブラリー at 07:15 | 交響曲 (Symphony) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする