2013年06月06日


ブルックナー:交響曲 第8番 ハ短調 第4楽章 [CODA]

ブルックナー:交響曲第8番
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5.0点 …とにかく物凄い演奏。
4.0点 マタチッチの代表盤
5.0点 マタチッチならではのブル8
発売日:2011-03-23
メーカー:日本コロムビア
アーティスト:ロヴロ・フォン・マタチッチ NHK交響楽団
フォーマット:Blu-spec CD

♪人智を超えた大宇宙の響き

ブルックナーの音楽は、他のあらゆる音楽とは次元の違うものかもしれません。

それは人間界のできごとを遥かに超えた、大自然、大宇宙の音楽であり、
それらを創造し、またすべての背後に在る、大いなる存在の音楽なのです。

人はそれを神、仏、ゼウス、天照大神、大日如来など、様々な名で呼びますが、
結局それらはすべて、宇宙大神ともいうべき、何か巨大なひとつの存在であり、
人間も自然も宇宙も、すべてその中に含まれてしまいます。

私は特に宗教はもちませんが、この世界にはこうした人智を超えた何者かが存在し、
すべてを設計し、まるでオーケストラの指揮者のように統率していると感じていました。
人間も大自然も大宇宙も、何の設計図もなしに、ただの偶然の積み重ねで
できあがっているとは、観察すればするほど、到底それを受け入れるのは難しくなります。

ブルックナーは敬虔なカトリック信者でした。
彼の部屋にはピアノとマリア像ぐらいしかなく、神と音楽と共に生きる質素な生活でした。

ブルックナーの交響曲は神への捧げものです。
そこには人間界の矮小なできごとが入り込む余地がなく、
ひたすら神の創造物である大自然と大宇宙の姿が描かれています。
そして、時折、その前にたたずむ人間の有限性、孤独も表現されているのです。

しかし、ブルックナーの巨大な音楽は、そうした人間存在の小さささえものみ込み、
大宇宙の大いなる存在の中へと吸収、還元してしまうのです。
ここへきて私たちは肉体をもった人間としては有限であっても、
魂、精神においては始まりも終わりもなく、大いなる存在と同じ、
無限の存在であるかもしれないと、思い起こさされるのです。

実は前回のブラームス第1番のコーダと、今回のブルックナー第8番のコーダは、
同じ日の同じ場所で演奏スタイルのインスピレーションを受けた曲です。
そこは海に突き出た岬で、両側で観える景色がまるで違います。
その片側でブラームス、もう片側でブルックナーのイメージを受け取ったというわけです。

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ブルックナーとブラームスはどちらも後期ロマン派の同時代の作曲家ですが、
オーストリアとドイツという違いばかりではなく、音楽が根本的に違います。
ブルックナーは大宇宙と神への祈りを描き、ブラームスは人間の寂寥を描いています。
もちろんブルックナーにも寂寥はあり、ブラームスにも祈りはありますが、
土台となる舞台が大宇宙と地上界というほどに違うのです。

ただ、面白いのはブル8とブラ1は、最終的には同じ地点に到達しているということです。
それはつまり、人智を超えた大いなる存在の次元に、精神が達しているということです。
そしてどちらの背後にもやはり、ベートーヴェンの存在が感じられるのです。

ハ短調で始まり、ハ長調で終結するという形の上ばかりの問題ではなく、
人間がその意志と志向性によって、小さな人間存在を超えて大宇宙へと達する
という可能性を、これらの曲は私たちに垣間見せてくれるのです。

心理学者のマズローによる調査結果では、オーケストラ楽曲を鑑賞するという行為は、
人間が最も“至高体験”を感じることのひとつだとされています。
難しいことを考えなくとも、音そのものから何かを感じ、日頃の意識を超えた
“別のもの”の存在を垣間見せてくれるのが、交響曲やオーケストラならではの魅力です。





ブルックナー:交響曲 第8番 ハ短調 第4楽章 [CODA] [3:34]
Josef Anton Bruckner:Symphony No.8 in C minor
4. Final: Feierlinch, nicht schnell [CODA]



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posted by CMSL クラシック名曲サウンドライブラリー at 01:23 | 交響曲 (Symphony) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする