2012年10月10日


ワーグナー:歌劇《ローエングリン》 第3幕への前奏曲 [新録音2012]

ワーグナー:管弦楽曲集(1)
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5.0点 ワーグナーの決定盤
発売日:2002-10-25
メーカー:EMIミュージック・ジャパン
アーティスト:クレンペラー(オットー)

♪ワーグナーの音楽を愛しその世界に生きたバイエルン国王ルートヴィッヒ2世

19世紀バイエルン公国の、第4代国王だったルートヴィッヒ2世は、
多くの凝った宮殿や城を築いたことから、“メルヘン王”とも呼ばれていました。

幼い頃に過ごしたホーエンシュヴァンガウ城は、白鳥の騎士ローエングリンや
中世のゲルマン伝説などに基づく壁画や、白鳥にちなんだ装飾で満ちていました。
それらに囲まれて育ったルートヴィッヒは、元来、読書や夢想を好む性格もあって、
白鳥の騎士に自らを重ね、中世に憧れる夢見がちな青年へと成長していきました。

そんなルートヴィッヒ2世が15歳になった時のことです。
彼は初めてワーグナーの歌劇「ローエングリン」を観て衝撃を受けます。
舞台に展開していたのは城内でずっと見てきた伝説の世界そのものだったのです。
白鳥に引かれた舟に乗る聖杯の騎士ローエングリンの姿が、
絵画ではなく動きを伴った形として、目の前に存在していたのでした。

この時ルートヴィッヒはあまりの感動に、客席で震え涙を流していたといいます。
その様子は周囲の者たちもあきれるほどだったようです。
作曲者ワーグナーの芸術の世界に心酔した彼は、この偉大な芸術家を擁護することが、
権力者として生まれた自分に課せられた、使命とまで信ずるようになったのです。

1864年、父マクシミリアン2世が逝去し、18歳でバイエルン王となった彼は、
まず手始めに宮廷秘書のフィスターマイスターに命じてワーグナーを宮廷へ呼び、
その時からルートヴィッヒのワーグナーに対する手厚い援助が開始されました。
当時ワーグナーは既に作曲家としての名声を手に入れ、財を成していましたが、
不安定な収入と極度の浪費癖から生活は逼迫し、
借金から逃れるために国を渡り歩いていたほどでした。

こうした状況下にあった51歳の、もう若くはないワーグナーにとって、
国王からの申し出は願ってもなくありがたいものでした。
ルートヴィッヒはワーグナーの膨大な借金を肩代わりし、破格の年金を与え、
貴族の屋敷が並ぶミュンヘン市内の一等地ブリエンナー街に豪華な邸宅を与えました。

あまりに大作で上演は不可能とされていた楽劇「ニーベルングの指輪」のための
大劇場の新設を提案したほか、ワーグナーのために音楽院を設立するなど、
自分にとっての夢の体現者であるワーグナーへの援助を惜しみませんでした。

しかし、バイエルン公国はカトリック信仰の厚い国で、
急進的な思想を持つワーグナーは、危険人物として快く思われない存在でした。
その上、リストの娘コジマとの不倫スキャンダルが世間を賑わし、
さらには国王による破格の額の待遇がミュンヘン市民の強い反感を買い、
ついにワーグナーはミュンヘンからの退去を余儀無くされました。

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しかしその後も国王からワーグナーに対する援助は変わりなく続けられ、
距離を隔てた二人が交わした電報書簡は700通に及ぶといいます。
人との交流を避けたルートヴィッヒでしたが、ワーグナーに対しては心を開き、
国王としての立場がもたらす心労や悩みを、隠さず打ち明け相談していました。

普墺戦争勃発後はシュタルンベルグ湖に浮かぶ薔薇島(ローゼンインゼル)に閉じこもり、
昼夜逆転した生活で外部との接触を断ち、現実から逃れ自分の世界に生きた国王ルートヴィッヒ2世。
美や理想の実現に対する願望と行為が、あまりに極端で一途過ぎたためか、
世間からは変人扱いされながらも、芸術とワーグナーに対する信を生涯貫き、
わずか40歳という若さで謎の死を遂げ、この世を去ったのでした。





ワーグナー:歌劇《ローエングリン》 第3幕への前奏曲 [新録音2012]
Richard Wagner:Prelude to Act3 from Lohengrin [NEW REC 2012]



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posted by CMSL クラシック名曲サウンドライブラリー at 18:18 | 歌劇 (Opera) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする