2016年08月03日


瀧廉太郎:荒城の月 (2016年1月1日よりパブリックドメイン)

早春賦~日本の愛唱歌
新品最安価格:52%OFF ¥ 500 (6店出品)
3.0点 知ってる曲が満載
発売日:2003-07-23
メーカー:コロムビアミュージックエンタテインメント
アーティスト:平野忠彦 塩田美奈子 鮫島有美子 市川倫子

♪時代を越えて愛唱される日本を象徴する歌曲

瀧廉太郎は明治日本の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人です。
日本人としては二人目となる、ヨーロッパ音楽留学生としてドイツに留学し、
文部省外国留学生として入学、ピアノや対位法などを学びました。

それまでの日本の唱歌は、外国の曲に日本語を無理にのせたものが主でしたが、
日本人によるオリジナルな歌曲を最も早く作り始めたひとりが瀧です。
また、1900年には日本人作曲家として初のピアノ独奏曲メヌエットを書いています。

外国人から見た日本の代表曲と言えば、「さくらさくら」と「荒城の月」だと言います。
最近では坂本九さんの「上を向いて歩こう」などもこのうちに入るようですが、
やはり古典的な名曲として、最初の二曲は現代でも不動のようです。


スポンサードリンク


「荒城の月」は1901年に行われた、旧制中学校唱歌の懸賞付きの募集に、
瀧廉太郎が作曲して応募、入選したことがきっかけとなって世に出ました。
作詞の土井晩翠は当時の影響力ある詩人にして英文学者でした。

まずは晩翠が宮城県仙台市の青葉城址、同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城址、
また、当時、リンゴ狩りに訪れた際に立ち寄った岩手県二戸市の九戸城址を
イメージして詞を書き上げたとされ、後から瀧が大分県竹田市の岡城址、
同じく富山県富山市富山城を想って、詞に曲をつけたとされています。
ですからそれぞれの場所に「荒城の月」の歌碑が置かれています。

瀧によるオリジナルはロ短調のアカペラ曲でしたが、
後年、山田耕筰がピアノ伴奏を付ける際に、短三度上げてニ短調に移調し、
旋律の一音ずつを倍に伸ばして、8小節のところを16小節に改編しました。

さらに、「♪春高楼の花の宴〜」の“え”にあたる音からシャープが消え、
半音下げたナチュラルに変更されました。
耕筰が日本らしさを出すためにあえてそう変えたとか、
何度もの改訂の中で、自然に日本に馴染みの音階になっていったなど、
諸説が取り沙汰され、様々に推測されています。
今では瀧のオリジナルに直すべきという声も上がり始めているようです。

「荒城の月」の歌詞は時代を越えて同じ姿で輝き続ける月と、
栄枯盛衰の象徴でもある荒れた城を対比させることで、
この世の無常や儚さを表現しています。

奇しくも瀧廉太郎自身も留学先のドイツで肺結核を患い、
帰国後、故郷大分で療養するも完治せず、23歳の若さでこの世を去っています。
しかし廉太郎はいなくとも、こうして音楽は今も輝き続けています。
その姿はまさに時を越え、不変の光りを保つ夜空の月のようでもあります。


*ピアノ伴奏譜を書いた山田耕筰が、1965年に亡くなってから50年が経過し、
2015年12月に著作権保護期間が終了しました。
2016年1月1日よりパブリックドメインとなったため、ダウンロード及び素材使用可能な、
「フリー音楽素材」として再掲載しました。


瀧廉太郎:荒城の月
Taki, Rentaro:Kojyo no Tsuki
https://classical-sound.up.seesaa.net/Rentaro-Taki-Koujyo-no-Tsuki.mp3


瀧廉太郎:荒城の月 [KARAOKE]
Taki, Rentaro:Kojyo no Tsuki
/classical-sound.up.seesaa.net/Rentaro-Taki-Koujyo-no-Tsuki-KARAOKE.mp3



ブログパーツ
posted by CMSL クラシック名曲サウンドライブラリー at 07:43 | 声楽曲 (Vocal music) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする