2012年06月07日


シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 Op.97 「ライン」 第2楽章

シューマン:交響曲第1番&第2番&第3番&第4番
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5.0点 全曲がそれぞれの1,2を争う名演奏
5.0点 見直されるべきシューマンの価値!
発売日:2005-11-16
メーカー:ユニバーサル ミュージック クラシック
アーティスト:バーンスタイン(レナード)
ディスク数:2

♪堂々たる面構えと立派さを誇るシューマン最後の交響曲

1850年9月(40歳)、シューマンは友人の指揮者フェルディナント・ヒラーの後任として、
ライン河畔の街、デュッセルドルフの管弦楽団・合唱団の音楽監督に招かれました。
到着したシューマン夫妻は、現地の人々から盛大な歓迎を受けました。

デュッセルドルフは田園都市というより、新興の工業都市として栄えていました。
活気に満ちた街や人々、そして美しい自然はシューマンの創作意欲を掻き立てました。

実はシューマンは1843年頃から精神的疾患に苦しんでいて、
1844年からは医者の勧めでドレスデンに居を構え、音楽活動に勤しんでいました。
1847年にドレスデンの男声合唱団の指揮をすることになり、
シューマンはこれを混声合唱団に拡大するなどして力を注いでいました。

そして、1849年5月にドレスデンで革命蜂起が起こると、
精神障害や家族の安全のこともあってマクセンに避難していました。
この頃、ピアノ曲「森の情景」を作曲しながらも、精神状態は芳しくありませんでした。

そんな折に舞い込んだのが、ヒラーの後任の音楽監督の話でした。
新しい土地デュッセルドルフでの生活が余程に刺激になったのか、
シューマンは着任して早々の10月に、チェロ協奏曲イ短調を書き上げています。
そして間髪空けずに11月始めから12月9日のわずか一月で、
交響曲第3番変ホ長調「ライン」を一気呵成に完成させたのです。

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シューマンはライン川沿岸を散策することを好み、
9月と11月にはライン川上流に位置するケルンにも足を延ばしました。
そこで壮麗なケルン大聖堂に感銘を受け、折しもこの時期に挙行された、
ケルン大司教ヨハネス・フォン・ガイセルの枢機卿就任式の報に接し、
この交響曲の荘厳な第4楽章の霊感を得たといいます。

シューマン自身は第3番を「ライン川の生活の一片」と呼んでいました。
例えば「ラインの朝」と当初名づけた第2楽章には、
ライン地方に伝わる民謡が主題として用いられています。
そして前述のように、ライン川上流での出来事に基づく第4楽章にも、
後に削除されたましたが「荘厳な儀式を伴奏するように」と書かれていました。

新天地によって一時癒され解放されたシューマンの精神が、
この時とばかりに発散され、迸るような情熱を発している第3番「ライン」。
第4番が約10年前の作のため、実質最後の交響曲となったこ作品には、
いつ聴いても心が広がるような、躍動感とダイナミズムがあふれています。





シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 Op.97 「ライン」 第2楽章
Robert Schumann:Symphony No.3 “Rhenish” in E flat major, Op.97
2. Scherzo: Sehr mäßig



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posted by CMSL クラシック名曲サウンドライブラリー at 15:52 | 交響曲 (Symphony) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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