2020年04月30日


オンライン特別プログラム - ブラームス 交響曲第1番 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Johannes Brahms:Symphony No.1 in C minor, Op.68

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今回も通常とは違うスタイルでお届けします。

交響曲第1番はブラームスが22歳で作曲に着手してから、21年もの歳月をかけて完成した力作です。
全部で4曲あるブラームスの交響曲の中でもひと際力強く、たくましさがあり、
困難に怯まずに立ち向かっていこうという前向きなエナジーに満ちています。
4曲を並べて聴くと、明らかに1番だけが異質の精神性を持っていることがわかります。

ブラームスは先人ベートーヴェンの巨大な交響曲群を意識するあまり、
それを超えなければならないと推敲に推敲を重ねました。
前の3つの楽章は約10年でスケッチを終えたものの、
第4楽章の完成には更に10年もの月日を費やさなければなりませんでした。
それだけにこの曲は、交響曲史上でも特筆すべき壮大さと感動的で充実した内容を持っています。

指揮者のハンス・フォン・ビューローはそれを「ベートーヴェンの第10交響曲」と表現しました。
その言葉の通り、第1番には普段のブラームスには見られないような気迫が感じられ、
音楽的には後期ロマン派の香りが漂うものの、根底に流れる強い意志力はベートーヴェンそのものです。

第1楽章はあたかも運命の鉄槌が振り下ろされるかのようなティンパニーの序奏に始まり、
その後はオーボエとチェロが沈みきった心を表現すると、意を決して困難との闘いが始まります。
この闘いは外部の敵が相手というより、くじけそうな自身の弱さとの闘いとも思えます。

第2楽章は穏やかなやすらぎの音楽で、過酷な戦闘の合間のひと時の休息です。
第3楽章も激しさはない箸休め的な小品で、最後には希望を象徴する第4楽章の主題も見え隠れします。



そしてこの交響曲では最も長い演奏時間を要する第4楽章が始まります。
長い闘いの果てに訪れた、希望の兆しを表すかのようなアルペンホルンの主題(3:22)は感動的で、
あたかも遠い水平線か雲海の彼方から、ゆっくりと昇り始める朝の太陽のようです。

また、ベートーヴェン第九の「歓喜の歌」に似た主題も胸に沁みるものがあります。
交響曲第1番はベートーヴェン「運命」と同じくハ短調で始まりハ長調で終結する、
「苦悩を突き抜けて歓喜へ至れ」というベートーヴェンのモットーをも感じさせています。
ブラームスが最初の交響曲でいかにベートーヴェンを強く意識していたかがわかります。

終楽章の最後は交響曲史上最大と言われるスケールの大きなコーダを迎え、
闘いの完全勝利を告げるファンファーレが鳴り渡ると、畳み掛けるように凱歌が続きます。
そして念を押すようにハ長調に転じた和声が踏みしめられ、全曲が輝かしく締めくくられます。


ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68 第1楽章 [2020][VR]
Johannes Brahms:Symphony No.1 in C minor, Op.68
I. Un poco sostenute - Allegro [15:06]



Brahms-Symphony-No1-1st-2020-VR.mp3



ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68 第2楽章 [2020][VR]
Johannes Brahms:Symphony No.1 in C minor, Op.68
II. Andante sostenuto [9:27]



Brahms-Symphony-No1-2nd-2020-VR.mp3



ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68 第3楽章 [2020][VR]
Johannes Brahms:Symphony No.1 in C minor, Op.68
III. Unpoco allegretto e grazioso [5:18]



Brahms-Symphony-No1-3rd-2020-VR.mp3



ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68 第4楽章 [2020][VR]
Johannes Brahms:Symphony No.1 in C minor, Op.68
IV. Adagio - Allegro non troppo ma con brio [19:10]



Brahms-Symphony-No1-4th-2020-VR.mp3


*第2楽章、第3楽章は14年ぶりの新演奏・新録音です。
*両端楽章も演奏と音響を改めた新録音です。
*全楽章の音源を3D・立体音響に差し替えました。6/5


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2020年04月22日


オンライン特別プログラム - ベートーヴェン「第九」バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125

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今回は通常の形を変更した特別なプログラムです。

第4楽章「歓喜の歌」の合唱のイメージがあまりに強い「第九」ですが、
実際は前半の二つの楽章にかけて、個人の内面の激しい闘いが描かれています。

「運命」「コリオラン」「エグモント」など、ベートーヴェンにはこうした勝利に向けての闘争を描いた
短調の音楽がいくつもありますが、わけても「第九」の第1楽章は別格です。
約15分以上におよび、ひたすらに胸を引く裂くような闘いが続きます。

第2楽章になってもそれは変わらず、過酷な運命はこれでもかと襲い掛かってきます。
しかし主人公はそれに怯むことなく、時にユーモアさえ見せながら気丈に立ち向かうのです。

第3楽章は一転して、天上界か、あるいは心の奥の安らかな場所を描いたような穏やかな音楽です。
最初のテーマは宗教的な祈りを思わせる旋律、次のテーマは愛や感謝を思わせるあたたかな旋律です。
この二つのテーマが入れ替わり変奏を繰り返し、満ち足りた時間を紡いでいきます。

特にワルツの変奏で軽やかにスウィングする場面(11:29)は感動的です。
しかし、この安楽にも金管が「眠ってはならない」と警鐘を鳴らすのです。

そして第4楽章では過去の三つの楽章が否定され、低音弦が提示する「歓喜の主題」に
あたかもフラッシュモブのように各楽器が賛同していき、ついには盛大な全体合奏に至ります。

その後はベートーヴェン自身が書いた冒頭の「おお友よ、もっと快い歌をうたおうではないか」
という呼びかけが歌詞付きでバス歌手により再現されると、それに呼応して合唱が歌い始め、
オーケストラと合唱による壮大な「歓喜の歌」のシンフォニーが繰り広げられていきます。



ベートーヴェンは「第九」作曲のごく初期の段階で、声楽(頌歌)を加えることをイメージしており、
「管弦楽編成は通常の十倍の大きさで」とスケッチにプロットを記入しています。

「第九」には人生に訪れる過酷な試練の闇とそれとの闘い、また打ち勝つための揺るがない意志、
不動の中心(精神的)、ユーモア、大胆不敵さ、心のやすらぎ、祈り、統一、希望、光、愛、感謝、
覚醒、再起、連帯、調和、平和といった要素が凝縮されています。

現在、世界を覆う厳しい状況に最も求められる音楽だと思います。
天はベートーヴェンという器を通し、音楽という言葉で人々に語り掛けているのかもしれません。


ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 第1楽章 [2020][AR]
L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125
I. Allegro ma non troppo, un poco maestoso [19:10]



Beethoven-Symphony-No9-1st-2020-AR.mp3



ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 第2楽章 [2020][AR]
L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125
II. Molto vivace [10:40]



Beethoven-Symphony-No9-2nd-2020-AR.mp3



ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 第3楽章 [2020][AR]
L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125
III. Adagio molto e cantabile [18:29]



Beethoven-Symphony-No9-3rd-2020-AR.mp3



ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 第4楽章 [2020][AR]
L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125
IV. Presto-Allegro assai [25:30]



Beethoven-Symphony-No9-4th-2020-AR.mp3



ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 第4楽章 [KARAOKE]
L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125
IV. Presto-Allegro assai [18:11]



Beethoven-Symphony-No9-4th-2020-KARAOKE.mp3


*第4楽章の合唱は著作権が消滅した音源をミックスしています。
*カラオケはご自身の歌や楽器演奏を加えて公開するなど、ご自由にお使いください。


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2020年04月17日


ホルスト:組曲『惑星』 Op.32:第4曲 木星、快楽をもたらす者 / Gustav Holst:The Planets Op.32:IV. Jupiter, the Bringer of Jollity

Holst.jpg♪国を超えて愛される「木星」の主題

グスターヴ・ホルスト(Gustav Holst / Gustavus Theodore von Holst, 1874年9月21日 - 1934年5月25日)は、イギリスの作曲家。最も知られた作品は、管弦楽のための組曲『惑星』ですが、全般的に合唱のための曲を多く遺しています。イングランド各地の民謡や東洋的な題材を用いた作品、また、吹奏楽曲などでも知られています。

大管弦楽のための組曲『惑星』(わくせい、The Planets)作品32は、ホルストの作曲した代表的な管弦楽曲です。この組曲は7つの楽章から成り、それぞれにローマ神話に登場する神々にも相当する惑星の名が付けられています。「木星」中間部の旋律は、イギリスの愛国歌、またイングランド国教会の聖歌となっています。

ホルストの代表曲として、ホルスト自身の名前以上に知られており、近代管弦楽曲の中で最も人気のある曲の1つです。イギリスの管弦楽曲を代表する曲であるとも言えますが、むしろイギリス音楽とは意識されず、その枠を超えて親しまれている曲でもあります。ただし、特殊楽器の多用や女声合唱の使用などが実演の障壁になることも多く、全曲を通しての演奏の機会は必ずしも多いとはいえません。

この作品は惑星を題材としていますが、天文学ではなく占星術から着想を得たもので、地球が含まれないのはこのためです。西欧ではヘレニズム期より惑星は神々と結び付けられ、この思想はルネサンス期に錬金術と結びついて、宇宙と自然の対応を説く自然哲学へと発展しました。この作品は、日本語では「惑星」と訳されてはいますが、実際の意味合いで近いのは「運星」です。




それぞれの曲の副題は、かつては「…の神」と訳されていましたが、近年では本来の意味に則して「…をもたらす者」という表記が広まりつつあります。かねてよりホルストは、作曲家アーノルド・バックスの兄弟で著述家のクリフォードから占星術の手解きを受けており、この作品の構想にあたり、占星術における惑星とローマ神話の対応を研究しています。

初演当初は好評をもって迎え入れられましたが、同時代の作曲家の意欲的な作品(ドビュッシーの『海』やストラヴィンスキーの『春の祭典』など)と比較してやや低水準と見なされた本作品は、ホルストの名とともに急速に忘れられる道をたどることになり、一時は英国内の一作曲家のヒット作という程度の知名度に甘んじるようになりました。

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コール・ポーター:So In Love(「日曜洋画劇場」エンディングテーマ) / Cole Porter:So in Love (from "Kiss Me, Kate")

Coleporter2s.jpg♪日本では「日曜洋画劇場」エンディングテーマとして有名

コール・ポーター(Cole Porter、1891年6月9日 - 1964年10月15日)は、アメリカ合衆国の作曲家・作詞家。本名コール・アルバート・ポーター(Cole Albert Porter)。ミュージカルや映画音楽の分野で、多くのスタンダード・ナンバーを残しました。インディアナ州で生まれた彼は、6歳でヴァイオリンを、8歳でピアノを習いました。イェール大学卒業後にハーバード大学に入学しましたが、最終的に音楽家の道を選びました。

1915年、ブロードウェイ・ミュージカル『Hands Up』に楽曲提供し、本格的に作曲家として活動を開始。しかし、翌年手がけた『まずアメリカを見よ』が、2週間で打ち切られる挫折を経験し、その後パリに渡りました。ヨーロッパでも作曲活動を続けた彼は、1923年にはバレエ曲「Within The Quota」を作曲するも、依然として成功に恵まれず、1920年代後半に帰国しました。

1930年、ミュージカル『ザ・ニューヨーカーズ(英語版)』に「ラブ・フォー・セール」等の楽曲を提供。これも成功には至らず、歌詞の内容が物議を醸しラジオ放送禁止に。しかし、この曲は後年スタンダード・ナンバーとなりました。そして、1932年にはミュージカル『陽気な離婚(Gay Divorce)』が大ヒットになり、ここでフレッド・アステアが歌った「夜も昼も(Night and Day)」は、コールの代表曲の一つと目されました。

1936年には映画『踊るアメリカ艦隊』に「イージー・トゥ・ラヴ」等を提供し、映画音楽の分野にも進出しました。1948年、ミュージカル『キス・ミー・ケイト』が大ヒットし、トニー賞を受賞。その後も多くの曲を作りましたが、1964年、腎不全のためカリフォルニア州サンタモニカで亡くなりました。




「ソー・イン・ラヴ」(So in Love)は、ミュージカル『キス・ミー・ケイト』の劇中歌として作曲され、パトリシア・モリソン(スペイン語版)が歌ったのが最初です。その後、パティ・ペイジのレコード録音をはじめとして、エラ・フィッツジェラルドらのジャズ歌手の活躍により、ジャズのスタンダードナンバーとして定着しました。多くの有名な歌手がこの曲を取り上げ、演奏・録音を行っており、歌手なしの器楽のみによる演奏も行われています。

日本においては、ピアノ協奏曲風にアレンジされたモートン・グールド楽団の演奏が、テレビ朝日の『日曜洋画劇場』エンディングテーマに、1967年4月9日の番組開始から1998年11月15日まで使用されました。「日曜洋画劇場のエンディングテーマ」として日本では認識度が上がり、元からのクラシック曲として間違われることもありました。

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2020年04月09日


ブルックナー:交響曲 第8番 ハ短調 第3楽章 / Joseph Anton Bruckner:Symphony No.8 in C minor:III. Adagio

Bruckner-01.jpg♪祈りにも似た美しく崇高なアダージョ

アントン・ブルックナーの交響曲第8番ハ短調は、ブルックナーの作曲した10曲目の交響曲です。演奏時間80分を越すこともある長大な曲で、後期ロマン派音楽の代表作の一つに挙げられます。

交響曲作家であるブルックナーの作品中でも極めて完成度が高く、充実した内容をもっています。わけても演奏時間25分におよぶ第3楽章アダージョの美しさは比類なく、ブルックナー音楽の最高峰と言っていい至極の名品です。

ブルックナーはこの交響曲以降、ベートーヴェンの交響曲第9番と同様の第2楽章にスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章を置く楽章配置を採用するようになりました。

作曲が開始されたのは、交響曲第7番の初演準備をしていた1884年7月で、1887年夏に第1稿が完成しています。しかし、「私の芸術上の父」と敬愛した指揮者ヘルマン・レヴィから「演奏不可能」と言われたブルックナーは落胆し、第8番の全面改訂を決意。

まず1889年3月4日から5月8日にかけて第3楽章が改訂され、続いて第4楽章の改訂が年7月31日まで行われました。さらに第2楽章スケルツォが改訂され、そして第1楽章、1890年3月10日に改訂は終了しました。これが「1890年・第2稿」であり、現在の演奏はほとんどこの稿を採用しています。

ブルックナーは同時期に交響曲第4番、第3番の改訂も行っています。この時点で第9番の作曲もある程度が進んでいましたが、この晩年の改訂期のために中断を余儀なくされ、結局未完に終わっています。




交響曲第8番の初演は1892年12月18日、ハンス・リヒターの指揮によりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会で行われました。ヘルマン・レヴィは当初マンハイムでカペルマイスター(楽長)を務めていたフェリックス・ワインガルトナーをブルックナーに推薦しました。

ところが、ワインガルトナーは全く返事をせず、ブルックナーから再三の要請を受けた後、1891年4月に辞退の手紙を書きました。そのため初演指揮者が見つからない時期がありました。そこでリヒターが1892年度のウィーン・フィル定期演奏会で初演することが決まったのでした。

初演時のウィーン楽友協会の大ホールには、ヨハネス・ブラームスやフーゴー・ヴォルフなどの著名な音楽家たちも聴衆として訪れました。全曲中で特に第2楽章スケルツォと第3楽章アダージョが好評を受けました。ヴォルフは初演の1週間後に、この作品の成功を「闇に対する光の完全な勝利」と評しています。

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2020年04月08日


フランシスコ・タレガ:アルハンブラの思い出 / Francisco Tarrega:Recuerdos de la Alhambra

Tarrega_001.jpg♪ギターのトレモロ奏法を活用して名高い作品

フランシスコ・タレガ(慣用的にタルレガ、またはアクセント記号を重視してターレガとも。Francisco Tarrega, 1852年11月21日 - 1909年12月15日)は、スペインの作曲家・ギター奏者。

カステリョン県ヴィラ=レアル出身。幼い頃に用水路に落ちて危うく失明しかけ、おそらくはこのため(目が不自由でも音楽で生計が立つだろうという父親の考え)に、家族に連れられカステリョーン・デ・ラ・プラーナに移り、音楽学校に進みました。最初の音楽教師エウゲニ・ルイスとマヌエル・ゴンサレスはいずれも盲人でした。

1862年にギター奏者のフリアン・アルカスに神童と認められ、その奨めによりスペイン楽壇の中心地バルセロナを訪れました。父親は伴奏楽器の色合いが強かったギターだけでなく、ピアノの勉強もすることを望みました。

アルカスが海外ツアーでいなくなり、10歳ばかりのタレガはカフェやレストランでギター演奏をすることで研鑽を積んでいました。しかし、それが見つかり間もなく父親によって連れ戻されました。1865年に家出し、バレンシアでロマの一団に加わるも、再び父親に見つかり連れ戻され、もう一度家出しバレンシアに行くと、今度は自発的に戻り、家計を助けるようになりました。

1874年にマドリッド音楽院に進学。豪商アントニオ・カネサの援助のもとに、作曲をエミリオ・アリエータに師事。1870年代末までにギター教師として立ち(門人にミゲル・リョベートとエミリオ・プジョル)、定期的な演奏会も行いました。ギターのヴィルトゥオーソとして鳴らし、「ギターのサラサーテ」の異名をとった彼は、バルセロナに定住して1909年に逝去しました。




『アルハンブラの思い出』(西: Recuerdos de la Alhambra)は、タレガが1896年に作曲したギター独奏のための性格的小品。原語の発音に近い『アランブラの思い出』と表記されることもあります。

高度な演奏テクニックであるトレモロ奏法を活用した曲としても名高く、右手の薬指、中指、人差し指で一つの弦を繰り返しすばやく弾くことによりメロディを奏します。親指はバス声部と伴奏の分散和音を担当します。

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ドビュッシー:ベルガマスク組曲:第3曲 「月の光」 (Clair de Lune) / Claude Achille Debussy:Suite bergamasque:III. Clair de Lune

Debussy-01.jpg♪ピアニッシモで演奏される8分の9拍子のロマンティックな夜想曲

『ベルガマスク組曲』(フランス語: Suite bergamasque)は、クロード・ドビュッシー作曲のピアノ独奏曲。

親しみやすい曲想で知られ、第3曲「月の光」はドビュッシーの作品のなかでも最も有名であり、単独での演奏機会も多い人気曲です。1890年ごろに作曲され、1905年に改訂版が出版されました。ドビュッシー初期の作品であり、和声法や旋律の感覚およびピアノの書法に、グリーグ、マスネ、フォーレなどの先人の影響が認められます。

タイトルの「ベルガマスク(「ベルガモの」、あるいは「ベルガモ舞曲」の意)」は、ポール・ヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』(Fetes galantes)に収録されている詩「月の光」(Clair de lune)の、"Que vont charmant masques et bergamasques"(現われたる艶やかな仮面喜劇者たちとベルガモの踊り子たちは)という一節に使用されている言葉です。

また、これに基づくガブリエル・フォーレの歌曲『月の光』(1886年-1887年)があり、その伴奏の一部に似た音形が『ベルガマスク組曲』の「前奏曲」に登場することなどから、ドビュッシーがヴェルレーヌやフォーレを意識したことを窺わせています。

同じ詩にはドビュッシーがその初期に単曲として歌曲を作曲しており、当時、彼が心惹かれていたヴァニエ夫人に献呈されています。そしてその歌曲は改訂され、前述のヴェルレーヌの詩集による歌曲集「艶なる宴」に収録されました。この組曲内の「月の光」は、歌曲版とは全く異なる音楽です。

当初、ドビュッシーは『仮面』(Masques)(前述の詩に基づく)および『喜びの島』(L'Isle joyeuse)をこの『ベルガマスク組曲』に加えようとしましたが、出版社の都合でそれぞれ単独で出版されました。




第3曲「月の光」 (Clair de Lune)は、ほとんどピアニッシモで演奏される8分の9拍子の夜想曲(ノクターン)で、優しく切ない曲想でも有名です。中間部の優雅な旋律は教会旋法の一種「ミクソリディア旋法」が採用されています。

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2020年04月05日


いつくしみ深き -What A Friend We Have In Jesus- / Charles Crozat Converse:What A Friend We Have In Jesus

P100ty0792.jpg♪日本では賛美歌、文部省唱歌の旋律として有名

「いつくしみ深き」(いつくしみふかき、原題: What A Friend We Have In Jesus〈英語〉)は、日本でも教会での結婚式や葬式などで歌われることが多い賛美歌のひとつです。

この曲を作曲したチャールズ・クローザット・コンヴァース(Charles Crozat Converse 1832年10月7日 - 1918年 10月18日)はアメリカ合衆国の弁護士。ドイツ留学時代(1855-1859)に音楽理論と作曲を修めたアマチュアの作曲家でもありました。

1855年から1859年まで、ドイツのライプツィヒ音楽学校で作曲法を専攻。米国に帰国後、アルバニ大学法学部を卒業しました。そして、ペンシルベニアのエリーで弁護士をしながら作曲活動をしました。1895年にはラザフォード大学が彼に法学博士号を贈っています。

作曲家としては、二つの交響曲、二つのオラトリオ、管弦楽曲、室内楽曲、合唱曲等を書きました。

現在は、ホワイト・スピリチュアル様式の賛美歌「慈しみ深き友なるイエスは What a Friend We Have in Jesus 」のみによって世界的に有名です。この旋律は日本では、賛美歌から文部省唱歌の旋律に転用され、「星の界(よ)」「星の世界」などの名で親しまれています。




この歌を作詞したのはアイルランド人ジョセフ・スクライヴェン (1819 - 1886) 。スクライヴェンはアイルランドのシーパトリックに生まれ、ダブリンのトリニティ・カレッジを卒業して、25歳の時にカナダに移住し、オンタリオの学校で教鞭を取りました。彼は、プリマス・ブレザレン派に属して、一生を不幸な人や貧しい人への奉仕活動に捧げました。1886年にライス・レイクで溺死しました。

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2020年04月02日


チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》 第4楽章 [2020][AR] / Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique":IV. Finale. Adagio lamentoso

Tchaikovsky-10.jpg
♪短調のまま消え入るように終わる異質な最終楽章

「悲愴」の初演から4日後、チャイコフスキーはあまりに突然に死を迎えてしまいました。一般的に信じられているのは、生水を飲んだため当時、流行していたコレラにかかり亡くなったというもの。

弟のモデストによれば、チャイコフスキーは1893年10月20日の夜、アレクサンドリン劇場でオストロフスキーの劇を見た後、「レイネル」という名のレストランで甥たちと共に夕食をとりました。翌21日の朝、チャイコフスキーは腹痛を訴え、朝食には起きて来ませんでした。前日の昼食で生水を飲んでコレラにかかったのです。

また、チャイコフスキーの妹アレクサンドラの末息子でクリンの記念館の館長を務めていたユーリイ・ダビドフは、前夜のレストランでの会食の際、チャイコフスキーは皆が止めるのを聞かずに、生水を飲んだと伝えています。

彼は回想記でチャイコフスキーの死にまつわり新聞で噂された毒殺、自殺、その他の説について触れ、「このようなことはすべて根も葉もない話です。私は確信をもって証言します。ピョートルおじさんを死なせたのは正真正銘のコレラで、その当然の余病が腎臓にきて尿毒症を引き起こし、そのために衰弱した身体が回復できなかったのです」と述べていました。




しかしその一方で、コレラによる死者の措置は厳重に監視されていたのにチャイコフスキーの場合は例外で、その遺体は自身の住居に安置されたままでした。さらに、故人の死を悼み数百人の弔問客がこの部屋を訪れ、遺体の手や顔に接吻をしましたが、誰ひとりとしてコレラに罹患した者はいなかったといわれています。

このため、チャイコフスキーの死は生水を飲んでコレラにかかったのが理由ではなく、当時は重罪だった同性愛が発覚して、名誉法廷で作曲家が自殺するという判決が下されたためとの説もあります。チャイコフスキーが飲んだのは砒素系の毒が入った水だったとされています。真相は今も不明のままです。

当時、すでに名声を得ていたチャイコフスキーの死は衝撃をもって全世界に伝えられ、11月7日のナブラーヴニク指揮による「悲愴」の再演は凄まじい反響を呼びました。チャイコフスキーが自殺したとの噂と重なり、この交響曲は多くの物語を生みました。そして、1890年代のうちにチャイコフスキーの名を全ヨーロッパに広めました。

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