2020年03月27日


チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》 第1楽章 [2020][AR] / Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique":I. Adagio - Allegro non troppo

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♪最晩年のチャイコフスキーが遺した人生をかけた一大傑作

交響曲第6番ロ短調 作品74は、チャイコフスキーが作曲した6番目の番号付き交響曲にして、彼が完成させた最後の交響曲。『悲愴』(ひそう)という副題でも知られています。

チャイコフスキー最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価されています。

弟のモデストはこの曲のテーマとしていくつかの証言を残していますが、チャイコフスキー自身は「人生について」としか語っていません。リムスキー=コルサコフの回想によれば、初演の際、演奏会の休憩中にチャイコフスキーに「この交響曲には何か表題があるのでしょう」と確かめると彼は「無論あります。しかし何と言ってよいか説明できかねます」と答えたといいます。

チャイコフスキー自身は世評を気にしがちなタイプでしたが、この曲については大きな自信を持っていました。完成後に出版商のユルゲンソンに送った手紙の中に「傑作を書きました。これは私の心からの真実と申しましょう。私は今までにないほどの誇りと満足とよろこびを感じています」と書いたほか、コンスタンチン大公には「私は今度の交響曲の作曲に全精神を打ち込みました」と伝えています。

また初演後は周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えです」と語っていました。




チャイコフスキーは1891年に着想を得た変ホ長調の交響曲(自身で『人生』というタイトルをつけていた)を途中まで書いたところで、出来ばえに満足出来ず破棄し、ピアノ協奏曲第3番に改作しました(未完)。しかしこの「人生」というテーマは彼の中で引き継がれていたようで、資料によれば1893年2月17日に第3楽章から第6交響曲の作曲に着手しました。

作業は急ピッチで進められ、それから半年後の8月25日にはオーケレストレーションまで完成し、同年10月16日に作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演されました。あまりに独創的な終楽章もあってか、初演では当惑する聴衆もいたものの、この曲へのチャイコフスキーの自信が揺らぐことはありませんでした。しかし初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となりました。

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2020年03月21日


チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 Op.64 第2楽章 [2020][AR] / Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64:II. Andante cantabile

Tchaikovsky-06.jpg♪2つの美しい主題が織りなす感動的な音楽模様

交響曲第5番ホ短調 作品64は、チャイコフスキーが1888年に作曲した交響曲。チャイコフスキーの数ある曲中でも交響曲第6番『悲愴』と並ぶ人気曲となっています。

チャイコフスキーは1877年に交響曲第4番を作曲したあと、『マンフレッド交響曲』を作曲したほかは、交響曲から遠ざかっていました。しかし、1886年にヨーロッパに演奏旅行し、当地で好評を得たことや、マーラーやリヒャルト・シュトラウス、グリーグら作曲家との交流が刺激となり、意欲を取り戻したといわれます。作曲者48歳、1888年の5月から8月にかけて作曲されました。

同年11月、作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演されました。初演では、聴衆は好意的でしたが、「チャイコフスキーは枯渇した」、「3つのワルツを持つ交響曲」などといわれ、専門家の批評は芳しくなく、チャイコフスキー自身もこの曲について「こしらえ物の不誠実さがある」と手紙に書くほどでした。

しかし、その後は演奏会のたびごとに大好評となり、成功作として本人も評価するようになりました。




第2楽章は厳かでやや陰鬱な弦の序奏のあと、夢幻的であまりに美しい主題がホルンのソロで奏でられます。この主題が弦によって再現されると、息をつく間もなくさらに美しい第2主題が続けて演奏されます。それぞれが別個の楽章の主要主題にできるほどの優れた旋律で、これが惜しげもなく一度に使用されるところにこの楽章の特別さがあります。また、クラシックでも屈指のメロディメイカーの彼だからこそ成せる技とも言えます。

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2020年03月20日


ベートーヴェン:ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13 「悲愴」 第2楽章 [2020][AR] / L.V.Beethoven:Piano Sonata No.8 C minor, Op.13 "Grande Sonate pathetique":II. Adagio cantabile

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♪美しい冒頭の主題で知られる物憂げな楽章

ピアノソナタ第8番『大ソナタ悲愴』は、ベートーヴェンの創作の初期を代表する傑作。ピアノソナタ第14番(月光)、第23番(熱情)と合わせてベートーヴェンの三大ピアノソナタと呼ばれることもあります。

正確な作曲年は特定されていないものの、1798年から1799年にかけて書かれたと考えられており、スケッチ帳には作品9の弦楽三重奏曲と並ぶ形で着想が書き留められています。楽譜は1799年にウィーンのエーダーから出版され、早くからベートーヴェンのパトロンであったカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵へと献呈されました。

本作は作曲者のピアノソナタの中で、初めて永続的に高い人気を得た作品で楽譜の売れ行きもよく、気鋭のピアニストとして、また作曲家としてのベートーヴェンの名声を高める重要な成功作となりました。

約100年後にチャイコフスキーが作曲した交響曲第6番『悲愴』の第1楽章には、このピアノソナタの冒頭主題とよく似たモチーフが使用されています。




第2楽章「Adagio cantabile」はベートーヴェンの書いた最も有名な楽章のひとつです。ヴィリバルト・ナーゲルはベートーヴェン全作品中でも指折りの音楽と評価しており、マイケル・スタインバーグはこの楽章のために「ハープシコードの所有者は最寄りのピアノ屋に駆け込んだに違いない」と述べました。

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2020年03月16日


メンデルスゾーン:劇付随音楽《真夏の夜の夢》Op.61 から「結婚行進曲」 [2020][AR] / Felix Mendelssohn:A Midsummernights Dream, Op.61 "Wedding March"

Mendelssohn04.jpg♪ワーグナーと並び定番の堂々たる結婚行進曲

『真夏の夜の夢』は、フェリックス・メンデルスゾーンが作曲した演奏会用序曲(作品21)及び劇付随音楽(作品61)です。いずれもシェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』が元になっており、中でも『結婚行進曲』は結婚式の定番曲として有名です。

メンデルスゾーンが1826年に17歳で作曲した序曲に感銘を受けた、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の勅命により、1843年に序曲の主題も再利用して『夏の夜の夢』上演のための付随音楽作品61が作曲されました。

作品61の劇付随音楽は、全12曲で構成されています。ここから「スケルツォ」「間奏曲」「夜想曲」「結婚行進曲」を抜粋し、序曲と組み合わせて組曲の形でも演奏されています。

結婚式用の音楽は、1858年1月25日、プロイセン王子フリードリヒ(のちのドイツ皇帝フリードリヒ3世)とイギリス王女ヴィクトリアとの結婚式で演奏され人気を博すようになりました。ヴィクトリア王女の母であるヴィクトリア女王はメンデルスゾーンの音楽を気に入っており、メンデルスゾーンはイギリスを訪れている間に女王のためしばしば演奏を行っていました。

メンデルスゾーンが自らこの曲を演奏したオルガンは、ロンドン・トッテナムの聖アン教会に保存されています。




メンデルスゾーンの「結婚行進曲」は、ワーグナーと並ぶ結婚式の定番曲で、あまりにそのイメージが定着していますが、堂々として立派なその音楽は結婚式はもちろん、もっと広い意味での"新たな門出"に相応しい内容を持っています。

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2020年03月08日


ウェーバー:歌劇『魔弾の射手』より「序曲」 [2020][AR] / Carl Maria von Weber:Der Freischutz Overture

Weber.jpg♪ワーグナーなど後世の作曲家たちに多大な影響を及ぼした歌劇

『魔弾の射手』は、カール・マリア・フォン・ウェーバーが作曲した全3幕のオペラ。

台本はヨハン・アウグスト・アーペル、フリードリヒ・ラウンの『怪談集』を元にヨハン・フリードリヒ・キーントが書きました。

初演は1821年6月18日にベルリンの王立劇場にて行われました。

原題はドイツの民間伝説に登場する、意のままに命中する弾(Freikugel)を所持する射撃手(Schutz)の意です。この伝説では7発中6発は射手の望むところに必ず命中するが、残りの1発は悪魔の望む箇所へ命中するとされています。

舞台は1650年頃のボヘミアと設定されています。当時のボヘミアはドイツ=神聖ローマ帝国支配下にあり、ドイツ人も多数住んでいた地域(14世紀には帝都が置かれていたこともある)でした。



ドイツの民話を題材とし、魔の潜む深い森や、封建時代の素朴な中にも良き生活を描いたこの作品は、オペラにおけるドイツ・ロマン主義を確立した記念碑的作品です。

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ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲:第4部 スイス軍隊の行進 [2020][AR] / Gioachino Antonio Rossini:William Tell Overture

Rossini-01.jpg♪ロッシーニが最後に作曲したオペラの有名な序曲

ロッシーニは、多数のオペラを作曲したことで知られるイタリアの作曲家です。『セビリアの理髪師』『チェネレントラ』などのオペラの定番をはじめ、『タンクレーディ』『セミラーミデ』などのオペラ・セリアも作曲しました。

人生の半ばに相当する37歳の時に、フランスに移ってグランド・オペラ『ウィリアム・テル』を作曲した後は、オペラ作曲はせずにサロン風の歌曲やピアノ曲、宗教作品を中心に作曲を行いました。

オペラの作曲から離れた後半生は、料理研究に没頭したほどの美食家としても知られています。ある時、ドイツの作曲家ワーグナーがイタリアのロッシーニを訪ね、オペラの作曲について話を聴こうとしたところ、食材の話ばかりで一向に作曲法に触れなかったため、ワーグナーを憤慨させたといわれています。

ロッシーニは作曲をやめた理由について、「モーツァルトがあれだけの完璧な作品を遺したというのに、これ以上何をすることがあるだろう?」と語ったと言われています。



ウィリアム・テル序曲は、1829年にロッシーニが作曲したオペラ『ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)』のための序曲。日本でも特に広く知られるクラシック音楽作品のひとつです。

フリードリヒ・フォン・シラーが1804年に書いた戯曲『ヴィルヘルム・テル』(独: Wilhelm Tell)を元に、1829年にロッシーニがオペラ『ギヨーム・テル』(仏: Guillaume Tell)を作曲。その序曲が日本で一般に『ウィリアム・テル序曲』(英: William Tell Overture, 伊: Guglielmo Tell Introduzione)と呼ばれています。

特に第4部「スイス軍の行進」はコンサートやレコーディングの際の演奏曲目としてよく取り上げられているほか、ラジオやテレビなど、さまざまな場面で使用されています。映画『時計じかけのオレンジ』や『大英雄』では、序曲の一部が重要な場面で使われています。

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