30代に差し掛かり耳疾の進行から次第に人との接触を避けるようになったベートーヴェンは、
療養で訪れたウィーン郊外のハイリゲンシュタットに居を構え、
数ヶ月にわたりそこで暮らしながら作曲の筆を進めました。
有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」はこの頃に書かれています。
そこには作曲家として致命的な疾患に対する絶望と、
それでも消えない音楽の創作に対する希求の思いが記されています。
ベートーヴェンは午前中に作曲の作業を終えると、昼過ぎから長い時は夜に至るまで、
畑と森林の小径を延々と散歩していました。
そのコースはハイリゲンシュタットからバーデンまで25kmもの距離があったと言います。
もちろんそれはただの散歩ではなく、頭の中で楽想を練る作業でした。
そうしてまとまった楽想を、翌日の朝から一気に譜面に書き記していたのです。
ベートーヴェンは「作曲に楽器を使ってはいけない」と言っています。
それより自らの内から湧き出るインスピレーションを大事にせよと言っていたのです。
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ベートーヴェンは長時間の散策の中、自然を愛で、聴こえない耳で小川のせせらぎや鳥の声を聴き、
それらの背後にある見えない摂理を感じながら、迸る楽想に思いをめぐらせていたのです。
私事ですが一ヵ月ほど前に、地元の丘陵地帯の畑の道を歩いている時、
ふいに「田園」第1楽章の旋律が脳裏に流れ、しばらくそれに耳を傾けていました。
その音楽は一般に聴く「田園」とは違い、まるでブルックナーのような、
ゆるやかで壮大な弦楽オーケストラのような響きをもっていました。
その後、「ベートーヴェンの交響曲はただの音楽ではない。言葉をもたぬ神がベートーヴェンを通し、
音楽という言葉で人間に語りかけているのだ」という思いが頭をよぎり、
涙で目がかすみ歩けなくなってしまいました。
眼下に広がる畑と遠方の海は陽光を受け煌き、
ひばりが楽し気に歌いながら上空へ上がったり下りたりしていました。
歌人・西行は伊勢神宮に参拝した際に、このような短歌を詠んでいます。
「なにごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
ベートーヴェンの「田園」とは、ただの自然の風景の描写ではなく、
その背後にある摂理と、それに対する人間感情を描いた音楽なのです。
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L.V.Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "PASTORAL"
1. Allegro ma non troppo [14:07]
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