ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」5.0 カラヤンとベルリンフィルの魅力posted with あまなつ on 2013.07.26
5.0 クラシックの王道・演歌でしょう
5.0 新世界シンフォニー、至高の内容を誇ります
価格:カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
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♪新世界アメリカから故郷ボヘミアへの望郷の想いを込めて…
ジャネット・サーバー夫人は白人、黒人といった人種の分け隔てなく、
音楽を愛するすべての者が共に学べる音楽院の設立を理想としていました。
そうした夫人の願いが結実したのがニューヨークのナショナル音楽院です。
新設されたこの音楽院の院長にふさわしい人物として夫人は、ブラームスの後援を受け、
「スラヴ舞曲」などで名を成していたドヴォルザークこそ適任であると考えました。
ドヴォルザークは英国ケンブリッジ大学から名誉博士の称号を贈られ、
プラハ音楽院の作曲科の教授を務めるなど、実績も文句なしでした。
こうしてドヴォルザークは1892年、51歳にして祖国ボヘミア(チェコスロヴァキア)を離れ、
まったくの未知の世界であったアメリカへと、音楽院の院長就任のために旅立ったのでした。
ドヴォルザークがこの任を引き受けた理由のひとつに鉄道のことがあります。
彼は知る人ぞ知る鉄道マニアで、当時最新の汽車が走るアメリカは魅力的でした。
実際、アメリカでの彼は時間が許すと鉄道を観に行っていたといいます。
「ユーモレスク」は列車のガッタンというリズムがヒントになっているぐらいです。
しかし、ほどなくして彼は極度のホームシックにかかってしまいます。
新天地での慣れない生活は、ドヴォルザークには大きな負担だったようです。
そこでニューヨークを離れ、故郷ボヘミアをそっくり移したかのような、
アイオワ州のスピルヴィルに居を移し、しばらく静養していました。
ところがこの生活から後の代表作となる名曲が、いくつも生み出されたのです。
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わけてもチェロ協奏曲や弦楽四重奏曲「アメリカ」などがよく知られますが、
なんといっても最大の収穫は、交響曲第9番ホ短調「新世界より」が作曲されたことです。
都会の喧騒を離れたこの地で、ドヴォルザークは作曲に集中することができました。
「新世界より」はスケッチ着手からわずか4ヶ月あまりで全曲が完成しています。
彼は後に「もしアメリカへ行かなかったらこの曲は生まれなかっただろう」と語っています。
スピルヴィルはボヘミア人たちが多く集う開拓村でした。
使われる言語もボヘミア語で、生活スタイルもボヘミアそのものでした。
この地でドヴォルザークは故郷ボヘミアへの望郷の念を募らせ、
有名な第2楽章ラルゴなどに、切々としたその思いの丈を込めたのです。
ドヴォルザークの最後の交響曲となった第9番「新世界より」は、
ベートーヴェンの「運命」やシューベルトの「未完成」と共に、
3大交響曲としてコンサートで演奏されることもある、大人気曲にもなっています。
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 Op.95 《新世界より》 第4楽章 [新録音2013] [10:10]
Antonín Dvořák: Symphony No.9 in E minor, Op.95 "Fron the New World"
4. Allegro con fucco
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