2013年05月29日


ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68 第4楽章 [CODA]

ブラームス:交響曲第1番
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中古最安価格:51%OFF ¥ 1,260 (6店出品)

5.0点 名演とは・・・
発売日:2008-12-10
メーカー:EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
アーティスト:シャルル・ミュンシュ パリ管弦楽団
フォーマット:Limited Edition

♪交響曲史上、最も壮大といわれるコーダ

4つのブラームスの交響曲の中で、最も愛され演奏される機会も多い作品です。
指揮者のハンス・フォン・ビューローが「ベートーヴェンの第10交響曲」と例えたことでも有名。
ビューローはその精神性がベートーヴェンに続くものという意味で言ったのです。

しかし、第4楽章主部の第1主題が、ベートーヴェン第9の歓喜の主題と似ていることから、
この部分ばかりが第1交響曲のエピソードとして、あげつらわれることがあります。
たしかに似ている…というよりまったく同じフレーズがあるほどですが、
これはブラームスが信奉するベートーヴェンへの敬意の念がそうさせたのだと思います。

発表当時にもやはり同じ件について批評が起こったのですが、これに対してブラームスは、
「凡人はとかく同じように聴きたがるものである」と、一笑に付したといいます。
ベートーヴェンへのオマージュとはいえ、れっきとしたオリジナルとの自負があったのでしょう。

ブラームスはベートーヴェンを尊敬するあまりに、「交響曲を作るならベートーヴェンに
匹敵しなければ意味がない」と、なかなか創作に手をつけようとせず、
最初に思い立ってから約20年後の43歳の時に、ようやく第1番の完成を見ました。
やっとベートーヴェンに並び立つことができたとの、手応えもあったはずです。

ところで、実際にベートーヴェンの第10交響曲のために用意されたという、
いくつかの断片的なスケッチが残されています(クーパー博士の断定も含む)。
中には弟子のシントラーによって、「第10交響曲へのスケルツォ」また、「第10交響曲への
アンダンテ(変イ調)」と書き込まれたスケッチもあり、総じて判断すると、変ホ長調の
アンダンテとハ短調のアレグロを、同一の楽章に置くという構想があったことがうかがえます。

この、ハ短調のアレグロが8分の6という拍子もあって、ブラームス第1番第1楽章の主部に、
驚くほど楽想の雰囲気が似ています。
また、シントラーの書き込みがあるハ短調のスケルツォも、拍子こそ違え、
やはり、ブラームス第1番第1楽章の主部に、どこか共通したものを感じさせます。

これらのスケッチが発見公開されたのは20世紀後半のこと。
ブラームスは19世紀の人ですから、このスケッチはおそらく知り得ないと思います。
にもかかわらず、どうして両者はここまで似ているのか?
私には歓喜の主題のことより、こちらの方が強く気になってしまいます。

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第1番はブラームスの交響曲にしては前向きで力強く、ビューローの言う通り、
むしろ「ベートーヴェンの第10交響曲」と言った方が収まりがいいぐらいです。
そこで私はどうしても、ベートーヴェンが生前にやり残した仕事を、
自らの後継者と呼ぶにふさわしいブラームスにインスピレーションを与え、
彼を通してやり遂げたのではと思ってしまうのです。
それほどに、あまりにベートーヴェン的な、ベートーヴェン的過ぎる交響曲です。

第1番の第4楽章のコーダは、交響曲史上、最も壮大であるともいわれています。
全曲を通してたどってきた変遷の結論が、この一点に集約されています。
それはベートーヴェンの「運命」にも示されたような、次元を超えた勝利です。

この曲は7年ほど前に公開していましたが、どうしてもコーダだけを改めたくなり、
以前のスローなテンポから一転、アップテンポで一気に駆け抜ける演奏にしました。





ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68 第4楽章 [CODA] [2:28]
Johannes Brahms:Symphony No.1 in Cminor, Op.68
4. Adagio - Piu andante - Allegro non troppo, ma con brio [CODA]



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2013年05月21日


バリオス:ワルツ 第3番

バリオス作品集
新品最安価格:7%OFF ¥ 2,630 (2店出品)

5.0点 バリオス弾きの達人 渾身の2作目
5.0点 人生の哀しみを慈しむ「大聖堂」
5.0点 クラシックギター至高の名曲・名演奏
発売日:1995-04-01
メーカー:ソニーレコード
アーティスト:ウィリアムス(ジョン)

♪クラシックギターのレパートリーとして人気の曲

現代のクラシックギター界で、最も商業的に成功したギタリスト、ジョン・ウィリアムズは、
パラグアイのギタリスト・作曲家・詩人である、バリオスについて次のように語っています。

バリオスはギタリスト兼作曲家として評判はどうあれ、たくさんの中の最高の一人である。
その音楽は、大半が巧みに構成され、大半が詩的であり、大半が何かしらの美点を含んでいる。
しかもこれらの大半は、時代を超越しているという見方ができるのだ。

ウィリアムズは、1953年にアリリオ・ディオスにバリオスのパラグアイ舞曲や
ショーロを教えられてから、バリオスに傾倒するようになり、
バリオスの作品をクラシック・ギターの最もすぐれた楽曲として擁護した先駆者です。

また、自らもバリオスの作品集を何度か録音しており、
それらはバリオス演奏のスタンダードのひとつとして、高く評価されています。

バリオスは旅を愛するロマンティックな流浪の詩人でもありました。
大学卒業後のバリオスは、首都アスンシオンで本格的な演奏活動に入り、
その後はコンサートや録音活動を通じて、驚異的な演奏力で名を馳せていました。

そして、1916年からの15年ほどは、ブラジルで活動を続けていましたが、
1931年にはブラジルを離れて諸国を転々とするようになり、同年のベネズエラ公演では、
興行主の依頼で鳥の羽根で頭を飾り、パラグアイの民族衣裳を着て舞台に上がりました。
また、数年間「ニツガ・マンゴレ(Nitsuga Mangoré)」との偽名を名乗ったこともあります。

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こうした南米旅行を通じて多くの友情にも恵まれ、友人や支持者に自作の歌曲の詩を
手書きで与えていたために、バリオスの詩作品は、中南米(ラテンアメリカ)各地や
アメリカ合衆国で、異なる版が出回る結果となっています。

その後も中南米の国々で演奏活動を続け、1934年から1936年にはヨーロッパを訪問して
名声を博しました。晩年は中米のエルサルバドルの音楽院でギター科教授を勤めました。

ワルツ第3番は、1919年頃に作曲された作品8の、5曲のワルツの中の1曲です。
第4番ト長調と並ぶ人気曲で、クラシックギターのレパートリーとしても有名です。
NHKの番組で作家の五木寛之さんが「日本人の心情に訴える外国のメロディ」として、
この曲を取り上げたことでも知られています。


*音源の都合上、本来、ハーモニクス奏法の箇所がノーマル奏法になっています。
どうぞご了承ください。





バリオス:ワルツ 第3番 [4:01]
Augustin Barios Mangore:Valse No.3



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2013年05月14日


シューマン:《子供の情景》 Op.15 第7曲 『トロイメライ』

シューマン:子供の情景/クライスレリアーナ 他
新品最安価格:13%OFF ¥ 1,445 (6店出品)

5.0点 最高の完成度
5.0点 ホロヴィッツ体験。
5.0点 『子供の情景』はやはりホロヴィッツ
発売日:2008-11-19
メーカー:SMJ(SME)(M)
アーティスト:ヴラディーミル・ホロヴィッツ

♪子供時代への憧れや追想を描いた大人のための音楽

「小さな楽しいピアノ曲を30ばかり作曲しました。そのうち12曲を選んで《子供の情景》
という題をつけました。あなたはきっと喜んで弾いてくださると思います。」

これはシューマンがまだ結婚前に、やがて妻となるクララに送った手紙です。
ふたりはたがいに想い合っていましたが、クララの父ヴィークは猛反対していました。

「クララは本当に僕を愛してくれるが、僕は永久に彼女を諦めねばならないのだろうか。」

ヴィークの怒りの激しさに、シューマンは一時、自信を失いかけていました。
シューマン25歳、クララ16歳という年の差も、ヴィークが許せなかった点かもしれません。
しかし、クララのシューマンへの愛は強かったのです。

「私はどんな事態が起ころうとも、ロバートを見捨てません。」

と、心に固く誓うのでした。

シューマンの代表作のひとつ《子供の情景》は、こうしたことがあった時期に作曲されました。
この13曲からなる小品集には、子供の頃への憧れや追想が描かれています。

「これは、子供のための曲ではなく、大人の回想であり、大人のためのものです。」

10年後に友人に宛てた手紙でこう書いているように、《子供の情景》は子供が
演奏したり聴くためではなく、大人が子供時代を振り返るためのものです。

「僕はこの曲を弾くと、幼い日の思い出が甦ってきて感動してしまう。」

とシューマンは常々、周囲に語っていたといいます。

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《子供の情景》でもっとも知られるのは、第7曲『トロイメライ(夢想)』です。
シンプルながら旋律の美しさは比類がなく、余計な装飾や大掛かりな展開を必要としない、
洗練された完成度の高さを感じさせます。
またシューマンならではの凝った和声進行が楽曲に色を添えています。

とにかく旋律そのものに力があるので、ヴァイオリンやチェロなどの器楽曲として
編曲されたり、歌詞をつけて歌われたりと様々な形で親しまれています。
ショパン『別れの曲』やバッハ『G線上のアリア』のような、クラシック名旋律の代表的な
曲のひとつとして、CDのコンピレーションアルバムにもよく収録されています。

*ヴァイオリン編曲版を公開していましたが、今回は原曲のピアノ版です。





シューマン:《子供の情景》 Op.15 第7曲 『トロイメライ』 [2:53]
Robert Schumann:Kinderszenen Op.15 7. Träumerei



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2013年05月07日


リスト:《巡礼の年 第2年イタリア》 S.161 第4曲 「ペトラルカのソネット第47番」

リスト/巡礼の年:第2年「イタリア」
定価:¥ 2,039
新品最安価格:12%OFF ¥ 1,788 (5店出品)

4.0点 新年最初に聴く
発売日:1994-09-05
メーカー:ユニバーサルクラシック
アーティスト:ブレンデル(アルフレッド)
時間:47(分)

♪イタリアの抒情詩人ペトラルカのソネットから作られた作品

あの日、あの月、あの年 あの季節、あの時間、あの時、あの一瞬 あの場所で私は捕われたのだ 美しい二つの目に、そしてあなたの奴隷となった (ソネット第47番より)

あたかも現代のヒット曲の歌詞のような、この熱く甘い詩を書いたのは、
14世紀イタリア・ルネサンスを代表する叙情詩人、フランチェスコ・ペトラルカです。

…1327年のある日のこと、ペトラルカは教会でラウラという女性に出会いました。
一目見たその瞬間、ペトラルカはラウラに心を奪われ、恋に落ちたのです。

私はこの地上で天使の姿を、 比類なき美をこの目で見た それを想うと嬉しくなり、悲しくもなる 目に見えるものはすべて、まるで夢か幻のようだ (ソネット第123番より)

しかし、ペトラルカは修道士でした。
恋愛や結婚を禁じられ、神にその一生を捧げるべき聖職者の身。
その上ラウラは、“夫人”や“奥様”といった表現から、多分、既婚者だったとうかがえます。
ラウラへの愛に苦悩するペトラルカは、自らの想いを詩に託したのでした。

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苦しみを糧として、泣きながら笑い、 死も生も同じようにいとおしい、 こんな私にしたのは、奥様、あなたなのです (ソネット第104番より)

これらの詩-ソネットはペトラルカの代表作『カンツォニエーレ』に収められています。
ソネットとはイタリアで生まれた14行の定型詩のことで、「小さな歌」を意味しており、
ペトラルカと、叙事詩『神曲』で知られるダンテによって完成されました。

1837年7月から1839年11月にかけて、リストはマリー・ダグー伯爵夫人と共に
イタリア旅行へ出かけ、文学作品や絵画など、様々な芸術作品に触れました。
それらから受けたインスピレーションを元に作曲された、
7つのピアノ曲がまとめられたのが、《巡礼の年 第2年イタリア》です。

『ペトラルカのソネット』第47番、第104番、第123番の3曲は、
それぞれ第4曲、第5曲、第6曲としてここに収められています。
マリー・ダグー伯爵夫人との、道ならぬ恋の只中にあったリストにとって、
ラウラへの断ち切れない想いを綴ったペトラルカの抒情詩は、
自らの心情をそのままに映し出した鏡のように思えたかもしれません。

リストは『カンツォニエーレ』の中から、第47番、第104番、第123番を選び、
まずはテノール独唱用の歌曲として作曲しました。
さらに、同時期にピアノ曲にも編曲し、《第2年イタリア》の作品としたのです。

一方、ラウラとペトラルカは、実際には交際をしていなかったといわれます。
ふたりはその後、会うこともなく、約20年後の1348年にラウラは亡くなりました。
しかし、ペトラルカはラウラがいなくなったその後も、
彼女を失った悲嘆を歌う詩など、ラウラへ充てた詩を書き続けたのでした。





リスト:《巡礼の年 第2年イタリア》 S.161 第4曲 「ペトラルカのソネット第47番」 [5:30]
Franz Liszt:Years of Pilgrimage "Second Year: Italy" S.161
4. Sonetto 47 del Petrarca (Petrarch's Sonnet 47)



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2013年05月01日


リスト:《巡礼の年 第1年:スイス》 S.160 8. 郷愁 - ル・マル・デュ・ペイ

Annees De Pelerinage
新品最安価格:30%OFF ¥ 2,270 (3店出品)

5.0点 リストファン必聴
5.0点 優しく美しい調べを
5.0点 タダみたいなもん
発売日:2002-09-29
メーカー:Dg Imports
アーティスト:ラザール・ベルマン
ディスク数:3
時間:176(分)

♪スイスのレマン湖畔に居を移し作曲された《巡礼の年 第1年》

『巡礼の年(年報)』はリストが20代から60代にかけて、40年以上もの長期に渡り、
断続的に創作を続けた、ピアノ独奏曲を全4集にまとめた作品です。

《第1年:スイス》《第2年:イタリア》《ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)》《第3年》には、
それぞれに旅行中の印象的なできごとや目にした風景、またその地に関係した
文学作品などから作曲されたピアノ曲が収められています。

ヴィルトゥオーソとして時代を席巻した若かりし頃から、カトリックの僧職について、
音楽と信仰を重ねていった、晩年までの変遷がそこに表されています。

10代前半で天才としてウィーンでもてはやされ、その後すぐにパリでも
社交界の花形となり、ヨーロッパの楽壇の寵児となったリストは、
3度に渡りイギリスを訪問し、国王ジョージ4世のために演奏などもしていました。
そこから約10年間は、パリがリストにとっての生活の拠点でした。

そんな彼は1833年(22歳)に出逢った、マリー・ダグー伯爵夫人と激しい恋に落ちました。
そしてふたりは社交界の喧騒を去り、スイスへ恋の逃避行をするのです。
1835年から1836年の2年間のできごとです。

(ふたりはやがて三児をもうけますが、そのうちの次女が有名なコジマです。
コジマは指揮者ビューローの元を去り、愛人のワーグナーへ走りました。
このことは父リストを苦しめましたが、やがてはコジマを許すのでした。)

スイスのレマン湖畔に居を移したリストは、夫人と共に愛を育みながら、
美しい自然に囲まれて、平穏な心境の中、作曲に従事しました。
その時の作品を後にまとめたのが《巡礼の年 第1年スイス》です。

これらの曲はまずは、3部19曲からなる《旅人のアルバム》としてまとめられ、
1842年に出版されましたが、このうち第1部の5曲と第2部の2曲を改訂し、
更に2曲を追加して1855年に《巡礼の年 第1年スイス》として出版されました。

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第8曲の『郷愁 Le mal du pays』は、フランスの作家・モラリストであるセナンクール
(1770〜1846)の小説『オーベルマン』から着想を得て作曲されています。
主人公であるオーベルマンが「自分の唯一の死に場所こそアルプスである」と
パリから友人に書き綴った、望郷の念が音楽で表現されています。
また、序文として『オーベルマン』からの長大な引用が掲げられています。

村上春樹さんの新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、
この曲が『ル・マル・デュ・ペイ』として登場し、重要な役割を果たしています。
小説のおかげでベルマン演奏のCDが、大きな話題となっているようです。





リスト:《巡礼の年 第1年:スイス》 S.160 8. 郷愁 - ル・マル・デュ・ペイ [6:01]
Franz Liszt:Years of Pilgrimage "First Year: Switzerland" S.160
8. Le mal du pays (Homesickness)



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