Merry Christmas and Pray for Peace / Tchaikovsky's "The Nutcrucker" - Misato Nagai Presents

ブルックナー:交響曲 第8番 ハ短調 - アンドウトワ指揮 CMSL SYMPHONIC ORCHESTRA [Teaser1]

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2「月光」 - 永井美里 [Teaser2]

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2「月光」 - 永井美里 [Teaser1]

CMSL SYMPHONIC ORCHESTRA PROMOTION VIDEO Part5 / コンサートマスター 風華レア

CMSL SYMPHONIC ORCHESTRA PROMOTION VIDEO Part4 / 指揮者 アンドウトワ

CMSL SYMPHONIC ORCHESTRA PROMOTION VIDEO Part3 / ピアニスト 永井美里


Beethoven Symphony No.9 in D minor, Op.125 - CMSL Symphonic Orchestra / Towa Ando [Teaser2]

Beethoven Symphony No.9 in D minor, Op.125 - CMSL Symphonic Orchestra / Towa Ando [Teaser1]

Pray for Peace - Towa Ando conducts Beethoven's last symphony

2012年01月26日


ドビュッシー:交響詩《海》 1. 海の夜明けから正午まで

交響詩「海」(ドビュッシー管弦楽名曲集)
新品最安価格:¥ 1,685 (2店出品)
レビュー平均: 5.0点 (2人がレビュー投稿)
5.0点 豊かな残響の中からくっきりした色彩が!
5.0点 交響詩「海」といえばこの演奏
発売日:2002-06-19
メーカー:EMIミュージック・ジャパン
アーティスト:マルティノン(ジャン)

♪印象主義音楽を代表するドビュッシーの最高傑作のひとつ

『海 - 管弦楽のための3つの交響的素描』は、一般に交響詩《海》とも呼ばれます。
全3楽章からなるこの曲の内容は立派で、ほとんど交響曲と言ってもいいほどです。
作曲が始められたのは1903年の夏頃のこと。
ドビュッシーはブルゴーニュ地方にある、妻リリー・テクシーの実家に滞在中でした。

そこは海の見えない場所でしたが、彼は作曲家メサジェへの手紙にこう書いています。
「でも私には無数の思い出があります。私の考えではそれの方が現実よりましです。」
その後、ロンドン近郊のドーバー海峡に面した、イエストバーンの海辺に移り住み、
1905年3月5日、その地で充実したこの交響楽は完成しました。

当初は「サンギネールの島々の美しい海」「波の戯れ」「風が海を踊らせる」という
副題を持つ3つの楽章から構成されることがメサジェに伝えられていましたが、
最終的にはそれらの副題は除かれ、次のタイトルがつけられました。

1. 海の夜明けから正午まで (De l'aube à midi sur la mer)
2. 波の戯れ (Jeux de vagues)
3. 風と海の対話 (Dialogue du vent et de la mer)

《海》はドビュッシーの管弦楽作品としては、1年半という短期間で作曲されています。
「夜想曲」には約5年、「映像」3部作には7年の月日が費やされました。
しかし《海》の作曲中はドビュッシーにとって、特に辛い時期でもありました。

1899年に結婚した妻リリー・テクシエとの関係は、3年もすると冷めたものになり、
1904年妻リリーを捨て、自分の生徒の母親であり、著名な銀行家の妻でもあった
エンマ・バルダックと駆け落ちをするというスキャンダルを起こしてしまったのです。

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ショックを受けたリリーは、ピストルで胸を撃ち自殺を計ります。
幸い未遂で済んだものの、ドビュッシーの元からは多くの友人が去り、
世間の批判の矢面に立たされ、事はパリ中の騒動へと発展してしまいました。

そうした最中、1905年にエンマ・バルダックとの同棲が始まり、
長女クロード=エンマ(シュウシュウ)が誕生。
心境も落ち着き、制作も進んで《海》は完成へとたどり着いたのでした。

初版の表紙には葛飾北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が採用されました。
これはドビュッシー本人の希望によるもので、
当時のフランスの日本ブームや、ドビュッシーの東洋趣味が表れています。
この頃、彼の部屋にはこれとまったく同じ絵が飾られていました。





ドビュッシー:交響詩《海》 1. 海の夜明けから正午まで
Claude Debussy:The sea, three symphonic sketches for orchestra
1. "From dawn to noon on the sea" or "From dawn to midday on the sea"



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2012年01月22日


ハイドン:トランペット協奏曲 変ホ長調 Hob.VIIe:1 第3楽章

ハイドン:トランペット協奏曲
新品最安価格:17%OFF ¥ 870 (10店出品)
レビュー平均: 5.0点 (3人がレビュー投稿)
5.0点 これ以上は望めないスタンダードな演奏
5.0点 最高の名盤。
5.0点 アンドレ氏は『トランペットの神様』である!
発売日:2000-06-21
メーカー:ワーナーミュージック・ジャパン
アーティスト:アンドレ(モーリス)

♪トランペットの名手だった友人のために書いた輝かしい作品

トランペットの基本レパートリーにして、代表的な協奏曲であるハイドンの名作です。
クラシックのみならず、ジャズのウィントン・マルサリスなども取り上げています。

ハイドンの時代はナチュラル・トランペットと言って、音程を変えるバルブがなく、
トランペット奏者はマウスピースへの圧や、唇の形で音に変化をつけていました。
またこのトランペットは高音域の自然倍音に音域が集まっていました。

これを改良したのがハイドンの友人アントン・ヴァイディンガーです。
トランペット奏者だったヴァイディンガーは、1770年代にトランペットに穴を開け、
音程調節用のキーを取り付けた、新たなトランペットを生み出しました。
フルートのように音孔を穿ち、鍵盤を付けることで半音階も出せるタイプです。

ヴァイディンガーはハイドンやフンメルに協奏曲の作曲を依頼しました。
すでに主要な交響曲や協奏曲も書き終え、晩年に入っていたハイドンでしたが、
この新しいトランペットが刺激になったのか、充実した協奏曲を書き上げました。
それは有鍵トランペットの特性を活かし、半音階のフレーズや、
自由な転調を駆使した輝かしく、溌剌とした作品でした。

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1800年3月28日、ウィーンのブルグ劇場でのヴァイディンガー自身による初演は、
客の入りが少なく、共演のソプラノの不調で散々だったと言います。
それでも、1802年のライプチヒへの演奏旅行は大成功を収め、
ヴァイディンガーと新型トランペットは、一躍脚光を浴びることになりました。

しかし、1830年代には新たにバルブ式のトランペットが主流となり始め、
ヴァイディンガーの引退とともに、彼のトランペットも時代から消えていきました。
ヴァイディンガーの開発したEs管トランペットは、元々音質も良くなかったようです。
そしてそれに呼応するかのように、ハイドンの協奏曲も忘れられていったのです。

時は流れて20世紀、ブリュッセルで再発見されたこの協奏曲は、
トランペットのスタンダードとして、今では揺るぎない地位を得ています。
フンメルの協奏曲と共に古典派を代表するトランペット協奏曲です。





ハイドン:トランペット協奏曲 変ホ長調 Hob.VIIe:1 第3楽章
Franz Joseph Haydn:Trumpet Concerto in E flat major Hob.VIIe:1
3. Finale-Allegro (rondo)



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2012年01月17日


ロッシーニ:歌劇《ウィリアム・テル》序曲

ロッシーニ: ウィリアム・テル 全曲 仏語版
新品最安価格:¥ 2,800 (4店出品)
中古最安価格:16%OFF ¥ 2,337 (1店出品)
発売日:2011-07-20
メーカー:EMIミュージックジャパン
プロダクトタイプ:ABIS_MUSIC
クリエーター:アントニオ・パッパーノ(指揮)
ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団

♪独立して演奏されることも多い序曲の有名曲

全盛期のロッシーニの、オペラ作曲家としての、ウィーンでの人気ぶりは、
あのベートーヴェンでさえも、到底及ぶものではなかったといわれています。
ベートーヴェンはすでにいくつもの名作を書き、第九に着手しようという時期でした。
ロッシーニはまず故郷のイタリアで名を上げ、その勢いはウィーンにも達していました。

ベートーヴェンはしばらくスランプの時期があったので、
その頃はおそらくウィーンの街は、ロッシーニ一色だったかもしれません。
それについてはベートーヴェン自身も、苦言を呈していたぐらいです。

そんなロッシーニが37歳で残した最後のオペラが、
主人公が子供の頭の上のリンゴを射ることでも有名な「ウィリアム・テル」です。
この物語は14世紀のスイスが舞台です。

当時のスイスはオーストリアの支配下にあり、総督ジェスレルに苦しめられていました。
ある日のこと、テルの友人のメルクタールの息子アルノールは、
おぼれかけていたオーストリアの王女マティルデを救い、ふたりは愛し合います。

愛するマティルデと祖国スイスの板ばさみで苦しむアルノールでしたが、
捕らえられていた父親が、ジェスレルによって死刑に処せられたことを知り、
マティルデと別れてもスイスのために、テルと共に戦うことを誓います。

オーストリアによるスイス統治100周年の記念日。
ジェスレルは自分の帽子を取って掲げ、スイス人は帽子に敬礼するよう命じます。
しかし通りかかったテル親子はこれを拒否。
怒ったジェスレルは彼に、息子ジェミの頭の上のリンゴを撃つことを命じました。

人々が見守る中、百歩はなれた先から見事、リンゴを打ち抜いたウィリアム・テル。
しかし、失敗した時にはジェスレルを射るつもりで持っていた
もう1本の矢が見つかり、親子は牢獄へと引かれて行きました。

その後はアルノールやマティルデの助力もあって脱出したテルは、
ジェスレルの心臓を矢で射抜き、スイスの自由と独立を取り戻します。
マティルデとアルノールは互いの愛を確かめ、物語は大団円を迎えるのでした。

この大作オペラを書いた後、ロッシーニは37歳にして引退状態に入りました。
ある日熱烈なファンに「先生の新作を期待しているのですがいかかでしょう?」
と問われたロッシーニは、ピアノに向かうと、ある曲を弾き始めました。

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それはモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」からの一節でした。
そして振り返るとロッシーニはこう言ったのです。
「こんな立派な曲があるのに、なぜ私がつまらないオペラを書く必要があるのですか。」

最後のオペラとなった「ウィリアム・テル」では、4部からなる序曲があまりに有名です。
第1部「夜明け」 、第2部「嵐」 、第3部「静寂(牧歌)」 、第4部「スイス軍隊の行進」が、
切れ目なく演奏され、スイスの山の風景のように変化する様が描かれていきます。

ロッシーニは序曲のことをシンフォニア-交響曲と呼ぶことがありました。
ベルリオーズが「4部からなる交響曲」と評したように、
ウィリアム・テル序曲はオーケストラの魅力が凝縮された、見事な管弦楽作品です。

*これまで「スイス軍隊の行進」を掲載していましたが、全曲を通して新録音しました。





ロッシーニ:歌劇《ウィリアム・テル》序曲
Gioachino Antonio Rossini:William Tell Overture



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2012年01月12日


ニコライ:歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》 序曲

ニューイヤー・コンサート1989&1992
新品最安価格:11%OFF ¥ 2,412 (3店出品)
レビュー平均: 4.7点 (9人がレビュー投稿)
5.0点 ウィーン・フィルの歴史を変えた瞬間
5.0点 天才によるニューイヤーコンサート
5.0点 カルロスは、やっぱり天才だよ!
発売日:2004-11-17
メーカー:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
アーティスト:クライバー(カルロス)

♪ウィーン・フィルハーモニーの創設者としても名高い作曲家

ニコライは1810年6月9日生まれの、ドイツ出身の指揮者・作曲家です。
幼い頃から天与の才能を見せ始め、父親の手ほどきでピアノを習得。
16歳で親元を離れると、ベルリンに遊学し音楽を研修します。

この時に保護を受けたのは、ベルリンのカール・フリードリヒ・ツェルターで、
ベルリン・ジングアカデミーの学生として教会音楽を中心に学んでいました。

また有名なメンデルスゾーンによる、バッハのマタイ受難曲の蘇演の際、
ニコライはジングアカデミーの学生として、イエス・キリストのパートを歌っています。
メンデルスゾーンはニコライと同じくツェルターの弟子だったのです。

その後は1833年に駐ローマ・プロイセン大使館付き礼拝オルガニストとなり、
1840年代にはウィーンに拠点を移し、ケルントナートーア劇場の楽長に就任しました。
そして1842年3月にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の前身である宮廷楽団員の
自主演奏団体「フィルハーモニー・アカデミー」による最初の演奏会を催しています。

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1847年にベルリン歌劇場の音楽総監督となった2ヶ月後に、
後の代表作となる歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』を発表。大成功を収めました。

この作品はシェークスピアの同名喜劇をモーゼンタールが台本に書き上げ、
三幕七場にまとめた魅惑的な喜歌劇で、1849年3月9日にベルリン王立歌劇場
(現在のベルリン国立歌劇場)にて初演されました。

またそれに先立つ1847年4月1日には同じく王立歌劇場で、ニコライ自身が創立した
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、作品の抜粋と序曲が演奏されています。

このオペラは同時期のドイツ語による喜歌劇 - ジングシュピールの中でも、
ユーモアと新鮮さにおいて傑出しているとされ、分けても序曲は人気で、
現代でも演奏会用としてコンサートで広く取り上げられています。





ニコライ:歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》 序曲
Carl Otto Ehrenfried Nicolai:"The Merry Wives of Windsor" Overture



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2012年01月07日


オッフェンバック:歌劇《ホフマン物語》から 「ホフマンの舟歌」

ホフマンの舟歌~カサロヴァ・シングス・オッフェンバック
新品最安価格:21%OFF ¥ 1,980 (4店出品)
発売日:2009-05-27
メーカー:BMG JAPAN
アーティスト:カサロヴァ(ヴェッセリーナ) バイエルン放送合唱団
時間:50(分)

♪ヴェネチアのゴンドラの上でささやきあう愛の歌

オッフェンバックはドイツ・ケルン出身のユダヤ系作曲家です。
合唱指揮者を父に持ち、幼い頃にパリに移住しました。

パリ音楽院でチェロを学び、卒業後はパリ・オペラコミック座でチェロ奏者に。
並行してシャンソンの作曲などで名を売りながらキャリアを積み、
1850年にはテアトル・フランセの楽長に就任、指揮者も務めました。

この後、オッフェンバックはドイツに帰ることはなく、
生涯、フランスを拠点としながら音楽活動を続けました。
来訪したアメリカやイギリスでも賞賛され、フランス喜劇の創始者とまで言われました。

本名はヤーコプ・エーベルストですが、パリでの活動にあたってそれを嫌い、
出生地であるオッフェンバック・アムマインからペンネームをとりました。

オッフェンバックは自作曲を演奏するための専用劇場ブッフ・パリジャンを作り、
そこから100を越える数の喜歌劇を、世に送り出していきました。
しかし、劇場の経営は最初からうまく運んだものではなく、
有名な喜歌劇「天国と地獄」で起死回生、ようやく軌道にのせることができたのです。

歌劇「ホフマン物語」は彼が最晩年に手がけた、本格的なオペラ作品です。
台本はドイツの作家ホフマンの三つの恋の物語で、
劇中、主人公ホフマンとジュリエットによって歌われる舟歌は特に有名です。

オッフェンバックはこの歌劇の作曲中に亡くなってしまい、
また劇場の度重なる火災により決定稿も損失したことから、
後に三幕ものから五幕ものまで、様々な形の「ホフマン物語」が生まれました。

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しかしこれが幻想的な物語であるこの歌劇に、自由な彩りをもたらしました。
また舟歌はこうした事情を越えて「ホフマンの舟歌」として、
単独でもよく取り上げられるような、絶対的な知名度と人気を誇っています。

同時代のスッペと共に、オペレッタ王として知られていたオッフェンバックは、
自らで九割方書き上げていた、最期の作品「ホフマン物語」によって、
ついに一流のオペラ作曲家の仲間入りを果たしたのでした。





オッフェンバック:歌劇《ホフマン物語》から 「ホフマンの舟歌」
Jacques Offenbach:Barcarolle from "The Tales of Hoffmann"



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2012年01月02日


モーツァルト:セレナード第10番 変ロ長調 『グラン・パルティータ』 K.361 (370a) 第3楽章

モーツァルト:グラン・パルティータ
新品最安価格:17%OFF ¥ 865 (8店出品)
レビュー平均: 5.0点 (1人がレビュー投稿)
5.0点 3楽章以外も聴いて
発売日:2002-01-23
メーカー:ワーナーミュージック・ジャパン
アーティスト:アーノンクール(ニコラウス)

♪管楽器による音楽の最高峰に立つ傑作


このジャンル全体の頂点とみなされるものである。
これに続くものは後世にも出ていない。
                                ― A.アインシュタイン

映画や舞台で有名な『アマデウス』で、サリエリが初めてモーツァルトを知る場面。
セレナーデ第10番第3楽章の妙なる調べが彼の心を捉え、陶酔へと誘っていきます。

「それは私の耳にしっかりとついて離れず、胸を刺し貫き、息が詰まるほどだった。
やがて、心を和らげるようなクラリネットの音色が響いてきた。
うっとりとするその調和、私は歓びに全身が震えた。」(第一幕第五場)

あたかも天からの音のように響くモーツァルトの天才の響きに、
サリエリはかつてない感動を覚え、それがやがて嫉妬へと変貌していくのです。
モーツァルトを最も憎んだ人間が、実はモーツァルトを最も理解していたという筋です。

セレナーデ第10番は『グラン・パルティータ』(大組曲)の名でも知られています。
これは後世につけられたものですが、曲の特徴を捉えていることから定着しています。
当時ウィーンでは「ハルモニー」または「ハルモニームジーク」と呼ばれる、
管楽合奏が流行していて、第10番はその演奏のために書かれました。

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大組曲と呼ばれるように楽器編成も演奏時間も大規模で、
通常の八重奏に管楽器4本とコントラバス1台を加えた13人の合奏で、
全7楽章が50分近くかけて演奏される、当時としては異例の作品でした。

モーツァルト自身は低音にコントラバスを指定していますが、
管楽器のみの演奏用に低音をコントラ・ファゴットで代用することもあります。
そのため一様に「13管楽器のためのセレナーデ」とも呼ばれています。

1784年3月23日のブルク劇場での初演には、次のような評伝が残されています。
「モーツァルト氏による4楽章からなる作品で、輝かしく崇高なものであった。
それは13の楽器、すなわち、ホルン4、オーボエ2、ファゴット2、クラリネット2、
バセット・ホルン2、コントラバスからなる編成で、どの楽器をも名手が担当していた。
その効果のなんと素晴らしかったことか。輝かしく壮大で、高雅かつ崇高であった。」





モーツァルト:セレナード第10番 変ロ長調 『グラン・パルティータ』 K.361 (370a) 第3楽章 Wolfgang Amadeus Mozart:Serenade No.10 for winds in B flat major
K.361/370a 3. Adagio



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